街場のメディア論
内田樹 著 光文社新書
777円 (税込)
「新書」という本の形態は、1938年に発刊された「岩波新書」が最初で、そこから各出版社に広がり、今では100以上ものタイトルがあります。もともとの意義は、古典を廉価版として広める目的の「岩波文庫」に対して、書き下ろしで「現代人の現代的教養」を高めるためにつくられました。
そのために、現在でも「新書」には「現代人のための知性」を求めるという考え方が主流です。新書と同じ判型のノベルズやコミックを別とすると、新書の多くは論説ですが、それはこのような歴史的理由によるものです。出版社を横断する形での「新書ファン」という読者が存在し、新書を舞台にベストセラーを乱発する著者もいます。
そんな新書という出版界の舞台にあって、今回取り上げた内田樹教授は、さしずめ「新書キング」とでも呼ぶべきヒットメーカーでしょう。「現代人のための知性」という新書のテーマにぴったりの、わかりやすい入口から奥行きの深い論理展開へと読者を導く手口は、少し難解なボキャブラリーとあいまって、熱烈な愛読者を増産しています。
本書『街場のメディア論』は、内田教授の「街場シリーズ」第4弾です。これまでに「街場のアメリカ論」「街場の中国論」「街場の教育論」が出ていて、「街場のマンガ論」が本書に続いて出ました。面白いのは、それぞれ出版社が異なることです。出版社が異なるのに同じシリーズタイトルが冠されている理由は、作り方が同じだから。
「街場シリーズ」は、どれも内田教授の講義がベースになっていて、編集者がその1クール分を録音して文字に起こし、本の体裁にまとめ上げたものを下書きに、著者が大幅に加筆推敲して作られています。ビジネス書などでよく使われる作り方ですが、他人の手が入ることで可能性が膨らむと、著者は気に入っているそうです。
さて、前置きが長くなりました。本書の内容ですが、単純に新聞、テレビ、雑誌などの衰退ぶりを解説したものではありません。本書では、メディアというものの正体を探りながら、インターネットとの関係を論じ、著作権のうさんくささを暴きます。そして最後に「書物」と「読者」の関係についての深い考察がなされます。
巷間、マスメディアの凋落はインターネットによってもたらされたと喧伝されていますが、著者はその意見に与しません。「ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった」のが原因であると喝破しています。
著者はメディアの価値について、このように説明しています。「その情報にアクセスすることによって世界の成り立ちについての理解が深まるかどうかという1点において、メディアの価値は最終的に定まる」と。たとえば天変地異的な破局の現場や、戦闘やレジスタンス活動の現場においては、情報を得る行為は命がけになります。それほどの思いを持って、現在のメディアは情報を発信しているでしょうか。
もうひとつ、マスメディアが衰退した理由を、著者は「読者や視聴者を消費者として見るようになったから」とも考えています。自分たちの価値を認めてお金を払ってくれる相手を、「よりよい知に触れて自分を高めたい」と思っている人と見るか、「1円でも安く価値の高いものを手に入れたい」と願っている人と見るか。この態度の違いは、すべてのビジネスにも当てはまるでしょう。
ちょっと脳に汗をかいてみたいときに、おすすめの書です。
|