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まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育

有元秀文 著 合同出版 刊

1,680円 (税込)

「日本人ほど英語教育に時間とエネルギーをかけて、何の結果も得られないでいる国民はない」とは、よく聞かれる批判です。たしかに中学、高校、大学と8年間も必修の授業を受けているのに、まともな会話ひとつできないのですから、そう言われても仕方ないかもしれません。

上記の批判の「英語」を「国語」に変えても同じことが言える、というのが本書の趣旨です。「日本人は国語教育にたっぷりと時間とエネルギーをかけているが、その効果は最悪である」というのが著者の主張です。その理由は、文科省がピラミッド構造で全国を支配しているからだというのです。

著者は元国立教育政策研究所総括研究官で、NPO法人日本ブッククラブ協会理事長。早稲田大学を卒業してから都立新宿高校で教鞭をとり、文化庁文化部国語課国語調査官を経て国立教育政策研究所に勤務しました。総括研究官として21年間、日本の国語教育や読書教育の研究に従事しています。いわば国語教育の現場を歩いてきた、国語教育のプロです。

その国語教育のプロが、なぜ日本の国語教育を痛烈に批判した本を書いたのか。それは次のような気持ちからだと著者は言います。「私の本職は国語教育である。だからこの国語教育を通して日本中の関係者に明日から役立つ提言をしたい。公務にいるときは公言できなかったこともはっきり言わせていただく。それぞれの現場でみんな苦労していることは知っている。しかし、原発で食べている人々がかわいそうだからと言ってみんな原発に反対しなかったらこのざまではないか。(中略)同じ過ちは繰り返すまい。言うべきことは言わなければならない」

著者によれば、日本の国語教育の問題点は次の7点にまとめられるそうです。
(1)超遅読で授業の進み方がばかばかしいほど遅い授業法
(2)異常なほど作中の人物の気持ちばかりを聞く発問
(3)教科書を絶対崇拝し、かけらも批判させない授業法
(4)差別的で時代錯誤な物語文。子どもの読書意欲を喚起しない論理的に支離滅裂の説明文が満載の国語教科書
(5)他の教科の学習にまったく役立たない授業内容
(6)社会に出てから役立たない指導要領
(7)子どもの嫌いな教科・教師がやりにくい教科のナンバーワン

第1章では、「これでよいのか? 日本の国語教育8つの大問題」として、今の国語教育が達成できないでいることを挙げていきます。
「長時間かけても文章を理解できるようにならない」
「論理的な文章が書けるようにならない」
「スピーチやディスカッションができるようにならない」
「国語や本が好きにならない」
「クリティカルリーディングができるようにならない」
「課題を解決できるディスカッションの力が育たない」
「ほかの教科の役に立たない」
「社会に出たときに必要な国語の力が育たない」

確かに、小学校から高校までの12年間学び続けたにもかかわらず、文章を書くのが苦手な大人はいくらでもいます。逆に、文章を書くのが好きだ、得意だという人は、国語教育の成果ではなく、ほとんど独学で文章を学んでいます。昔は日記や文通、今ならブログやSNSで腕を磨いたという人が多いのではないでしょうか。

「クリティカルリーディング」とは、批判的な精神で読むことです。登場人物の行動はこれで良いのだろうか。作者の表現方法は正しいか。人物描写に不足はないか。そういう目を持ちながら読んでいくという手法は、今の国語教育ではまったくやりません。教科書にある作品は完全無欠であり、絶対に批判してはいけないものとして扱われてきたからです。

著者は言います。「日本の教師は『この物語のどこが好きですか?』とは聞くが、『どこが嫌いですか?』とは絶対に聞かない。(中略)子どもたちが従順な読書をしなくなったとき、教師はふんぞりかえってはいられなくなる。教師は子どもの意見を受け入れてやり、自分の意見も言い、お互いに個性を出し合って本を読み合う必要がある。それが民主主義だ」

日本の国語教育の特異さは、アメリカの国語教育と比較してみると明らかになります。本書にはこう書かれています。「アメリカでは国語にあたる教科は"English Language Arts"と言う。つまり、英語という言語の技術を学ぶ教科である。"English Language Arts"は、文章が速く正確に読めるようになり、論理的で説得力のある文章が書けるようになり、スピーチができ、ディスカッションして課題を解決できるようになることを目指している。日本の国語教育は、文章はできる限りゆっくり読み、読んだ後も何を読んだかわからず、文章を書いてもスピーチをしてもだらだらと何が言いたいのか最後までわからず、議論をすればみんな黙っていてあとで陰口をきくか、たまに本当のことを言う人がいると感情的な大げんかになる程度のコミュニケーション能力、ディスカッション能力しか育たない」

第3章では、さまざまな国語教科書の内容を引用しながら、いかに今の国語教科書がダメダメであるかをめった斬りしています。たとえばこんな感じです。「『ヤドカリとイソギンチャク』(武田正倫 国語四上 東京書籍)はヤドカリとイソギンチャクの共生について書かれたれっきとした科学的文章だ。しかし、その最後の文は『ヤドカリとイソギンチャクは、このように、たがいに助け合って生きているのです』と結論を述べている。しかしヤドカリとイソギンチャクが助け合って生きているから子どもたちも助け合って生きていかなければいけないと、論理を飛躍させるのはまったく科学的ではない」

ではこのような不毛な国語教育をどのようにして改善していけばよいのでしょうか。著者の提案は次のようになっています。
●国語の授業を改善する
(1)正確に読む技術を教える
(2)教科書経典主義から脱却する
(3)ディスカッションして課題を解決する技術を教える
●教科書を改善する
(1)センチメンタルな戦争教材や人権無視の教材をなくす
(2)支離滅裂でつまらない説明文を一掃する
(3)教科書を作るプロセスを変える
(4)教科書の位置づけを変える
●教師・学校・教育行政を変える
(1)授業経験のない教育学部の大学教授を一掃する
(2)授業のできない指導主事を一掃する
(3)子どもと親に学校評価をさせ、ウェブにアップする
(4)雑務から教師を解放する
(5)段階的に部活動を短縮していく
(6)中身のある授業研究会、校内研修会を行う
(7)英語を教えるなら外国人指導助手に授業させる
(8)もういいかげん文科省の権限を縮小する
(9)文科省からまったく独立した研究機関を作り、基礎研究、政策批判を行う

現在、日本社会や日本人の欠点とされていることの源流がどこにあるのかが見え、教育の大切さと恐ろしさを教えてくれる一冊です。


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