オススメ参考書~読んだら即実践してみよう!

大の字の話
いちばん楽な姿勢

加島祥造 著 飛鳥新社 刊

1,333円 (税別)

ぱっと見では2色の表紙カバーに見えますが、これは錯覚。ピンクのカバーに太いアイボリーの帯が巻かれているのでした。最近はこのように、とても「腰巻」という通称では表現できないような存在感のある帯が増えています。

タイトルや本のデザインからは、やさしい自己啓発書のような印象を受けますが、本書は肩の凝らないエッセイ集です。英文学者であり詩人である著者が、90歳を越えてから見出した「生きるヒント」がちりばめられています。

全部で9つの関連しないエピソードが語られていますが、それらに共通しているのは「大の字」という姿勢です。タイトルにもあるように、著者は「大の字」がいちばん楽な姿勢であると語っています。そして裏表紙にはこう書いてあります。 「人は誰でもいちばん楽な姿勢でいるとき、安らぎを味わう。人はそれぞれ、いちばん楽な姿勢を見いだせば、幸せになれる。」

東京生まれの著者は、40代のときに偶然、長野の伊那谷を訪れてその風景に魅了されます。10年後にそこに小屋を建て、20年後に移住。以来、伊那谷の住人です。著者はこう言っています。
「私には『偶然』に起こったことのほうが、人生で大きな役割をしてきた。今の私は、自分の長い人生を偶然の光で照らしてみるようになった。そして、人生の中に働く神秘的な力が見えてきた。生きることの不思議さが、ふだんの視野の向こうに広がる。」

最初のエピソードは、著者が10歳のときの思い出です。著者は東京・東神田の呉服商の子どもとして生まれましたが、大家族に店員もいた家はいつも騒々しく、大の字で寝そべることなど、決して許される環境ではありませんでした。

しかし、夏になると避暑に行く鎌倉の広いお寺は別世界でした。10歳の夏、著者は200畳ほどもある本堂でたった1人、大の字で寝るという「冒険」を経験します。 「本堂の畳は、ひえびえとしていた。窓の外からミンミン蝉の声がふりそそいでいた。いっせいに鳴きしきるその声は、はげしくて強いものでした。(中略)その催眠効果たっぷりの声を聞きながら、寝ころんでいるうちにいつしか、どこか遠くへ運び去られるにような気がして、眠りこんだ。」

ただそれだけの体験だったのですが、このことは著者の記憶に深く刻まれました。その理由を、著者はこう説明しています。
「あの『気持ちよさ』--あれは少年の私にも特別のものだったのです。少年のときは気づかなかったけれど、今ははっきりそう思う。なぜならあれは、意識した記憶というよりも、私の無意識の中に入って残ったからです。全身の感覚が、『いい気持ち』と感じ、そこに何かしら深く安らぎがあったという覚えがあった。それが畳の上に大の字になって眠ったあとだから、大の字の行為と結びついて、私の体内に刻まれたのです。」

その後、著者の生活にはなかなか「大の字」になるチャンスは訪れませんでした。狭いひとり部屋、結婚してからの家族との共住。青年期、壮年期を通じての著者は仕事と家庭に心をとられてしまい、大の字になって安らぐ機会を持つことはできませんでした。

著者がふたたび大の字になったのは、50代の半ば。横浜の大学に勤めていて、夏の間の別荘を伊那谷に建ててからのことです。そのころ、著者は人生を迷っていました。すでに著者はアメリカ文学の翻訳家として世間に知られていましたが、ほんとうは詩や小説などの創作活動がしたかったのです。大学教授の地位や家庭から離れ、浮浪者のように暮らしてみたい。そんな思いにとらわれましたが、踏み切れないでいました。

「そんな夏の一日、私は小屋にいて、どうしようもない気持ちに落ち、わが身を投げ出すように、畳に大の字になったのです。『ええ、どうにでもなりやがれ』。これは東京の下町言葉ですが、こんなときの大の字にはよく合う言葉です。」

ここで著者は「自我からの解放」を体験します。畳の上に大の字になり、ガラス戸を開け放って、大音量でベートーベンの「熱情ソナタ」を鳴らし、林のざわめきとピアノの痛烈な感情音の両方に身を委ねているうちに、一瞬でしたが自我から離れることができたのです。そのときのことを、著者はこんな詩で表現しています。

「ほんのわずかなあいだだったが
おれは
とどろき流れる水に
洗われる白い岩だった--そこには
自我のくっついた苔はなかった。」

自我の苦しさから一瞬にせよ逃れることができた著者は、しだいに落ち着きを取り戻しました。そして、横浜から伊那谷に来るたびに自然への驚きと喜びを見つけるようになります。そんなある日、伊那谷で散歩していた著者は、河原の向こうにあった平たい岩に這い上がり、そこで大の字になったのでした。

大岩をめぐって流れる水の音を聞き。林の先から射す木漏れ陽に眼を細めているうち、いつしか著者は眠りに落ちました。そして目覚めたその一瞬に見えたものは、この世のものとは思われぬ鮮明なビジョンだったのです。
「河原の石ひと粒、ひと粒
木の葉ひとつ、ひとつ
そびえる林の枝先が
空に刻む明確な輪郭、
すべてがじつにはっきる目に映じた! それを
両目はただ写しとっていて、まだ、
意識に転じなかった。」

著者はそのビジョンを「末期の人の目の見るもの」と表現しました。死ぬ寸前の人の目には、すべてのものが明快に映じると聞いていたからです。
「目を開いたときの私は、まだ意識が働かなかった。ただ、見えたものを目に映じていた。目のもつ全機能が--全感覚が--感受したのです。自我や利欲でなく、純粋な視覚だけの働きでした。」

「あのころの私は、命の回復を願っていた。死への仕度をする心でなくて、本来さずかった生命力を生き返らせようとして、谷の小屋にきていた。大の字になるという行動には、自分の疲れきった命をいたわる意図があったのです。大の字になるということは、肉体を喜ばせるだけでなくて、心をもリラックスさせることを、私は本能的に知っていたようです。」

その次のエピソードは、なんと日本を離れてオーストラリアへ移動します。著者は70代で、オーストラリアに住むドイツ人の友だちに招かれてゴールド・コーストに近いツイード・ヘッドという美しいビーチで過ごすうちに、「生の自分」が甦ってくることを感じます。

それもまた、「大の字」のポーズからでした。今回は河口で浮力の強い海水に体を預けながらの大の字でした。ここで著者は「大の字」のもつ大切な点に気づきます。それは、「大の字」は外からの攻撃を恐れる人にはとれないポーズであるということです。

「元来、『大の字』というのはスキだらけの姿勢なのです。天と地に心と体をまかせきった姿であり、ツケいる可能性は100%だ。逆に言うと、大の字になるときは、そんな恐怖を忘れて、もっと無我になるのであり、だからあんなに気持ちいいのです。」

1990年、著者は天竜川の西側にある小屋から、東岸の山里にある家に引っ越しました。ある夜、台所で皿を洗ってひと休みしていると、ドーンという音が聞こえました。天竜川の花火大会です。著者は家から出ると、近くの土手に座って花火を見物することにしました。

「この景観をひとり占めする豪勢さに
いい気分になって、まず
道端にしゃがみこんだ。
尻をおろして草地に両足を投げだし
つぎは土手に大の字になった。
視線が低くなったので、右には
芒(すすき)の穂波、竹似草と宵待草が見え
その間から
大輪の花火があがるのだった。
時おり背後からふくそよ風には
秋涼の気があった」

著者の「大の字」体験はまだまだ続きますが、興味のある方はぜひ本書でお楽しみください。


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