「ほしい未来」は自分の手でつくる
鈴木菜央 著 星海社新書
840円 (税別)
最初に著者名を見て、「女性かな?」と思ったら違いました。また、タイトルを見て「軽めの自己啓発書かな?」と思ったら、それも違いました。そんな風に続けざまに予想を外してくれる本は、たいてい「当たり」です。スペックが予想通りの本は、中身も予想通りであることが多いのですが、最初からこちらの予想を裏切ってくれるような本は、いろいろと新鮮な内容に溢れているものです。
著者は、1976年生まれの編集者。NPO法人グリーンズの代表でもあります。千葉県いすみ市という関東の田舎に、妻1人、娘2人、ハムスター1匹と暮らしていて、素晴らしい田舎暮らしを満喫しています。
そういう通り一遍の紹介をすると、
「なんかムカつく」
「好き勝手な人生でいいね」
などと反発されるものですが、本書で明かされる著者のこれまでは、決して順風満帆でもなければ、思い通りの人生でもありませんでした。
むしろ「ほしい未来は、つくろう」などというカッコいい掛け声とはうらはらの、ボロボロの青春記がつづられていて、「いったいこの人はどこへ行ってしまうんだろう」と読者をハラハラさせます。
少しでも環境問題や自然と共存する暮らしに興味のある人なら、誰もが知っている「月刊ソトコト」。著者は、この編集部の出身です。その後、親しい仲間たちとウェブマガジン「グリーンズ」を立ち上げ、その運営に没頭していきます。
時あたかも、アル・ゴア元副大統領の『不都合な真実』がベストセラーとなり、社会全体が環境問題に敏感になっていた時代です。著者たちの立ち上げた「グリーンズ」は、単にセンセーショナルな環境問題のニュースを配信するのではなく、解決策とセットになった明るいニュースを選んで配信していました。暗いニュースばかりだと、人々の気が滅入るだけで、社会の役に立たないと考えたからです。
しかし、理念が先行した事業がよく陥るように、彼らも資金繰りに苦しみました。仕方なく、組織の維持・運営のために外部の仕事をするようになりましたが、おかげで目が回るほどの忙しさに。いつしか、「何のために、こんなことをしているのだろう」という疑問が湧いてきます。
そんな状態は、著者の私生活にも暗い影を落とし始めました。長女からは「パパ、次はいつ来るの?」と言われるようになり、奥さんとはケンカすることが多くなりました。持病の喘息は悪化し、突然の腰痛でトイレにも行けなくなってしまいます。
ことここに至って、著者はついに決意します。「このままではダメだ。人生をゼロベースから立て直そう」と。
よく考えてみれば、それまでの著者たちの行動は矛盾の塊でした。「経済のために環境を犠牲にするのではなく、持続可能な社会をつくろう」と考えて「グリーンズ」を立ち上げたのに、自分は経済のために健康と家族を犠牲にしている。明確なプランも持たずに、がむしゃらにやっていれば、いつかは状況が改善するのではないかと突っ走っている。著者は、そんな自分たちの過去と決別することにしたのでした。
そのために、株式会社組織を解体し、新たにNPO法人グリーンズを立ち上げます。そして「働く」ということの対象を仕事だけではなく、家族、健康、地域社会といった人生全般に広げて考えるようにしました。「今自分がやっていることは、自分の『ほしい未来』につながっているか?」。その自問が、必要な仕事と切り離すべき仕事を区別してくれました。
著者はそれまでの自分たちのありかたを「自転車操業」、NPO立ち上げ以降を「自転車経営」と表現しています。よく似た言葉なので同じように思えますが、その中身は180°違います。自転車操業は資金繰りや納期に追われる見通しの立たない状況ですが、自転車経営はエンジンやモーターの力を借りず、自分の足でペダルを漕いで行きたいところに向かって行きます。自由で楽しく、未来を感じられる状態です。
組織を大幅にスリム化し、考え方を変えたグリーンズには、徐々に追い風が吹き始めました。広告出稿が増え、大企業とのジョイント企画が成立するなどで、なんと設立初年度からわずかですが黒字を計上したのです。「ソロバンを弾くために生きているのではない!」と宣言した途端にソロバンが合うというのは、なんとも皮肉な話です。
2010年4月、著者は家族とともに千葉県いすみ市に移住しました。「子どもたちを豊かな自然の元で育てたい」という夫婦の願いが実現したわけですが、なぜ千葉県いすみ市だったのか。それまで千葉県成田市、長野県軽井沢町、栃木県西那須野町、神奈川県小田原市、神奈川県藤野町、神奈川県逗子市、神奈川県鎌倉市といった候補がありましたが、著者たちはいすみ市を選んだのです。
大きな要因になったのは、「新参者として加わるのでは面白くない」という気持ちでした。鎌倉などは自然と文化があり、多くの文化人が住んでいますが、すでに面白いことがたくさん起きている町でした。その点、いすみ市は刺激に満ちていながら、まだこれからの発展の余地があります。著者たちは川のほとりにある一軒家を借りました。
ホタルが家に飛び込んでくるような自然の中で暮らすうちに、著者の健康は改善し、夫婦仲も元に戻りました。子どもたちは片道3kmを歩いて学校に通うために、どんどんたくましくなっていきます。都会暮らしでは得ることのできない幸せを、家族みんなでかみしめるようになりました。
多くの人たちが「今の世の中は間違っている」「このままではいけない」という考えを持っています。しかし、その考えが形を結ぶことはなかなかありません。たいていは酒場での戯れ言に終わってしまい、また昨日と変わらない毎日が続いていきます。
著者は、世の中を変えていくソーシャルデザインの要素として、次の項目を挙げています。
1.まず、「自分ごと」からはじめる
2.人間の行動を変える「楽しさ」という力を活かす
3.小さくはじめる
4.淡々と続く仕組みをつくる
5.お客さんを「参加者」にする
6.「弱いリーダーシップ」を発揮する
7.ビジョンを共有する
8.活動を生態系化する
著者たちは、それらを実践して、さまざまな活動を展開しています。ミニ太陽発電システムをみんなで手作りして、自宅一部屋だけのオフグリッド発電を実現したり、政治を身近にするための「せんきょCAMP」を全国展開してみたり、自分の次の人生をつくる仮想の町「リトルトーキョー」をスタートさせたり。
楽しみながら人生と世の中を改善していくコツがよくわかる1冊です。 |