ロボットは東大に入れるか
新井紀子 著 イースト・プレス 刊
1,400円 (税別)
タイトルだけを見ると、それは何かの比喩であって、中身はロボット技術の現在を紹介する本なのだろうと想像してしまいますが、さにあらず。このタイトルはまったく大まじめにつけられたもので、本当に「人工知能は東大入試に合格できるか?」を論じた本なのです。
その前に、本書のシリーズ名である「よりみちパン!セ」のことにちょっとふれておきましょう。このシリーズは、「学校でも家庭でも学べない『いま』を生きていくためのたいせつな知恵のかずかずについて、刺激的な書き手たちが中学生以上のすべての人に向けて、読みやすくコンパクトなかたちで書き下ろした」というものです。全巻の挿画を人気イラストレーターの及川賢治が描き下ろしたことも話題になりました。
創刊は2004年。重松清『みんなのなやみ』、みうらじゅん『正しい保健体育』、養老孟司『バカなおとなにならない脳』など56点が刊行され、累計で180万部という大ヒットシリーズになりました。しかし出版元の理論社が2010年に倒産し、このシリーズは企画を立案した編集者ごとイースト・プレスに移籍しました。雑誌の移籍というのは時々ありますが、書籍シリーズの移籍というのは珍しい例です。そして、本書はイースト・プレスから刊行された新作になります。
著者の新井紀子氏は、イリノイ大学で博士号をとった理学博士です。国立情報学研究所の教授で、2011年から人工知能分野のグランドチャレンジ「ロボットは東大に入れるか」のプロジェクトディレクターを務めています。著書は『数学にときめく』(講談社ブルーバックス)、『ほんとうにいいの?デジタル教科書』(岩波書店)、『コンピュータが仕事を奪う』(日本経済新聞社)、『ハッピーになれる算数』『生き抜くための数学入門』(ともにイースト・プレス「よりみちパン!セ」)など。
本書のタイトルであり、著者が主宰しているプロジェクトでもある「ロボットは東大に入れるか」ですが、その由来が本書の「終わりに」に書かれています。それによると、著者がこれを思いついたのは2010年12月のことだったそうです。その日、考え事をしながら職場のエレベーターを待っていた著者は、ドアが開いて降りてきた同僚のロボット研究者の肩をつかんでこう言います。「ねえ、ロボットは東大に合格するかしら?」
その質問に、相手が「何をバカなことを言っているんだ」と反応したら、その後の展開はなかったでしょう。でも彼はこう答えたのです。「うーん、合格できないとは言えないんじゃないでしょうか」
そこで著者はこの研究者を引き連れて、自然言語処理の研究者の部屋を訪ねます。「今2人で『ロボットは東大に入れるか』について考えているの。あなたはどう思う?」と尋ねたところ、相手は「入れるんじゃないですか?」と答えました。それから、この3人を中心に「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトがスタートしたわけです。今では100人以上の研究者が関わっている、大規模なプロジェクトに成長しました。
そのプロジェクトの現在進行形の成果を一般向けに書き下ろしたのが本書というわけですが、もちろん「ロボット」といっても「鉄腕アトムやC3POが机に向かって試験問題を解く」わけではありません。あくまでも「知能を持ったコンピュータである人工知能は東大入試問題を解けるか」という話です。
本書は3つの章から構成されています。第1章は著者が全国各地の学校で行っている「ロボットは東大に入れるか」と題した講演の様子、第2章は2003年に「東ロボくん」と名付けられた人工知能が代々木ゼミナールの「全国センター模試」を受けた時の結果と分析、第3章はこのプロジェクトに関する学生からの質問と、それに対する著者の答えです。
「東大入試に合格する」ということについて、著者は次のように定義しています。ロボットは問題用紙を受け取るわけではなく、試験問題からテキストや画像が抽出されたデジタルデータとして問題を受け取ります。そして受験生と同じ制限時間内で問題を解きます。問題がマークシートの場合は、答えが何であるかを出力することで、鉛筆でマークすることの代わりとします。
また、受験生と同様に、ロボットは試験中にインターネットにつなぐことはできませんが、試験前に入力したネット上のデータ、たとえばウィキペディアやYahoo!知恵袋の過去ログなどは利用できるものとします。
東大入試はセンター試験と東京大学の個別学力試験、いわゆる2次試験です。文系志望の場合はセンター試験で国語、外国語(英語、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語から1科目)、数学Ⅰ・数学A、数学Ⅱ・数学B、社会(日本史B、世界史B、地理B、倫理+政治・経済から2科目)、理科(物理Ⅰ、化学Ⅰ、生物Ⅰ、地学Ⅰから1科目)の合計7科目(900点満点)を受験する必要があります(2014年度の場合)。理系志望の場合は、社会科が1科目になる代わりに、理科を2科目受験しなければなりません。ロボットが東大を目指す場合、まずセンター試験で900点中700点以上が必要になります。
果たして人工知能がその点を取ることができるか。第2章に掲載されている2003年の「東ロボくん」は、「全国センター模試」で世界史Bが100点満点中58点、日本史Bが同じく56点、政治・経済が33点、国語が150点満点中62点、英語が200点満点中52点、物理Ⅰが100点満点中39点、数学Ⅰ・数学Aが100点満点中57点、数学Ⅱ・数学Bが同じく41点という結果でした。代々木ゼミナールの判定では、東大は足切りで2次試験に進めないという不合格です。その代わり、全国の大学で合格可能な学校を探したところ、403校に入学できると判定されました。
著者たちは「2021年までに東ロボくんを完成させたい」という目標を持っています。つまり、2021年までに「全国センター模試」で「東大合格!」の判定がもらえるレベルまで、東ロボくんをブラッシュアップしていこうというわけです。そのためには、現在の東ロボくんが「できない」とされている「イラスト理解」や「民主主義の良さを理解する」といった課題をクリアする必要があります。
本書には、ロボットや人工知能にまつわる雑学も山のように出てきます。たとえば「チューリングテスト」。これは機械が人と同じような知性を持っているかを調べるテストのことで、最近ロシアで開発された人工知能が、これにパスしたというニュースがありました。一定時間、チャットで会話してみて、3割以上の審査員が「相手は人間だ」と判断したら、チューリングテストにパスしたことになるそうです。
現在の人工知能は、たとえばチェスや将棋なら、人間を負かすことができるまでになっています。しかし、「今週号の少年ジャンプを読んで、『ワンピース』のあらすじをまとめなさい」などといった問題を解くことができる人工知能はまだありません。著者は、「どうすればそんな人工知能が作れるかもわからない」と言っています。
とはいえ、人工知能は日々進化しています。アマゾンのレコメンドがどんどん正確になっているのは衆目の一致するところでしょうし、アメリカの株取引の7割が、すでに人工知能に占められているそうです。iPhoneを持っている人なら、「Siri」のウイットに富んだ受け答えに舌を巻いた経験があるでしょう。
人工知能が発達してくると、人間の仕事が脅かされると考える人もいます。著者はこんなふうに言っています。「ドラえもんがいる世の中になったら、のび太くんは何をして働いていくんだろう。ドラえもんは宿題もしてくれるし、困ったことはみんな解決してくれる。そのときのび太くんは何をして暮らしていくんだろう。ドラえもんと一緒に、のび太くんもジャイアンも幸せになるには、どんな社会の仕組みをつくっていけばいいんだろう」
著者は最後に、「学校の勉強のうちの大半が、本当は機械に置き換えることができるのではないか」という疑問を投げかけています。もしもそれが現実になったら、学校はどうなるのか。また、人工知能が兵器に搭載されて「無人戦闘機」や「ロボット兵士」が作られたら、大国は戦争をどんどんやりたがるのではないか、という疑問も。
近未来の人間社会が、コンピュータによってどう変わっていくかを考えるための良質な参考書です。
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