「新書」というと、みなさんはどういうイメージをお持ちでしょうか。「天地175mm、左右105mmの文庫より縦長の体裁で、1,000円以下の定価が多く、ハンディな造本ながらアカデミックな内容の書籍」といったところが、最大公約数的な印象かもしれません。
このような「新書」の定義を定着させたのは、なんといっても1938年に創刊された「岩波新書」の影響が大きいでしょう。古典を収録する岩波文庫に対して、岩波新書は書き下ろしを中心に「現代人の現代的教養」を目的として発刊されました。
その後、何度かの「新書ブーム」を経て、現在は100タイトルを超える新書シリーズが発刊されています。今回取り上げる星海社新書もそのひとつで、講談社の100%子会社である星海社が2011年に新レーベルとして創刊したものです。
星海社はWEB時代の出版社としてスタートしており、自社の公式サイト(http://www.seikaisha.co.jp)のほかに、「最前線」(http://sai-zen-sen.jp)、行動機会提案サイト「ジセダイ」(http://ji-sedai.jp)、星海社twitter(https://twitter.com/seikaisha)などのサイトから盛んに情報発信をしています。
ひところは出版社がネットをライバル視していたため、出版活動とWEBによる情報発信のコラボレーションはなかなかうまくいっていなかったのですが、最近になって、この星海社のように垢抜けた手法を取るところが増えてきました。例えば「ジセダイ」には本書に関するこんなエントリーがあります。
(http://ji-sedai.jp/editor/blog/edopub.html)
さて、本書の内容紹介に移りましょう。みなさんは「江戸しぐさ」という言葉をご存じでしょうか。古くは公共広告機構(現・ACジャパン)によるマナー啓発CMのテーマとして紹介され、その後、新聞などで広められ、コンサルタントなどの講演で使われることが多くなった道徳ネタです。現在は全国各地の教育委員会や商工会議所、自治体などが率先して普及に力を入れ、道徳の授業などでも取り上げられているといいます。
では、その「江戸しぐさ」にはどんなものがあるのでしょうか。いくつか例示します。「傘かしげ」というのは、雨や雪の日に道路ですれ違うとき、相手も自分も傘を外側に傾けてスムーズにすれ違う動作です。お互いの体に雨や雪がかからないようにするとともに、傘同士がぶつかって破損することのないようにという心遣いです。
「肩引き」というのは、狭い道や路地、混み合う道路などで前方から人が来たとき、お互いに右肩を引いて体を斜めにし、胸と胸を合わせるような格好ですれ違う動作です。こうすれば「肩がぶつかった」と因縁をつけられることもなく、狭い空間を有効に活用することができます
「こぶし腰浮かせ」というのは、川の渡し場で乗り合い船の客たちが船の出るのを待っているとき、後から乗ってきた客のために腰の両側にこぶしを突いて軽く腰を浮かせ、少しずつ幅を詰めながら座れる空間を作るという動作です。電車の席を詰める行為と同じです。
「江戸しぐさ」を広めようとしている人たちは、これらの「江戸しぐさ」が江戸商人たちの行動哲学であり、長く語り継がれて現代に至る生活の知恵であるとしています。しかし、1980年代以前には、まったく話題になったことがなく、その存在を示す文献も一言半句たりとも見つかってはいません。
著者の原田実氏は1961年生まれの歴史研究家。昭和薬科大学の助手時代に、有名な偽書事件である『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』の混乱に巻き込まれて職を辞す羽目に陥っています。その後、郷里の広島市に帰って執筆活動に入り、20冊を超える著書を発表しました。現在、日本でも数少ない偽史・偽書専門家として活躍しています。
著者の人生を変えた『東日流外三郡誌』事件についても触れておきましょう。『東日流外三郡誌』は1970年代に発見されたといわれた古文書で、数百冊にもおよぶ膨大な文書には、古代の津軽地方に大和朝廷から弾圧された民族の文明が栄えていたことが記されていました。この古代文明の首都は五所川原市に近い十三湊で、満州や中国、朝鮮、欧州、アラビア、東南アジアとの貿易で栄え、欧州人のためのカトリック教会まであったそうです。
しかし、これらの古文書はすべてがニセモノでした。「発見者」である和田喜八郎による創作物、でっち上げで、筆跡鑑定により古文書の筆跡がすべて和田のものと一致することが証明されています。著者は当初、古文書を本物であるとする擁護派に属していました。そのために職を辞することになり、その後は積極的な懐疑派に転向しています。著者が偽史・偽書専門家として名を挙げるのは、それ以降のことです。
話を「江戸しぐさ」に戻すと、ここにも『東日流外三郡誌』と同じような流れが見つかります。「江戸しぐさ」の情報発信者は、ほんの数名の人物に集中していることがわかるからです。著者の分析により、「江戸しぐさ」は芝三光という人物の創作で、越川禮子と桐山勝という二人の人物によって広められたことが判明しました。
「江戸しぐさ」も『東日流外三郡誌』と同様に、ニセモノであり、でっち上げの創作物でした。著者の分析によると、江戸町民の多くは傘よりも蓑笠のようなものを多く使用し、傘を使う人も、「傘かしげ」のような動作はせず、傘をすぼめることでスムーズな往来を実現していました。その姿を描いた浮世絵もあります。
同様に、「肩引き」も「こぶし腰浮かせ」も、現代人が考えるといかにもありそうなしぐさですが、江戸の実態にはそぐわないものでした。「江戸しぐさ」を広めようとしている人たちによると、「江戸しぐさ」は何百も何千もネタがあるそうですが、すべてが江戸庶民の生活実態をよく知らない後世の人間による創作であることが明白です。
著者が「江戸しぐさ」を問題視しているのは、それが道徳の教科書に正々堂々と掲載されるようになったからです。コンサルタントが講演のネタに使っている程度なら、眉唾ものだと笑って見ていれば良かったのですが、情報の真偽を疑うことのできない子どもたちに「真実」だとして嘘を教えるのは問題です。
かつて、教育現場を席巻した「水からの伝言」というものがありました。水を入れた瓶に「ありがとう」と書いた紙と「ばかやろう」と書いた紙を貼って凍らせると、「ありがとう」の瓶の水はきれいな結晶になり、「ばかやろう」の瓶の水は崩れた結晶になるというものです。これに対して科学界から激しい批判があり、「水からの伝言」はやがて教育現場では使われなくなりました。
著者は「江戸しぐさ」が次の「水からの伝言」になるのではないかと危惧しています。日本の教育現場が嘘の歴史で授業をすることになれば、反日教育を続ける隣国を批判することもできなくなります。一部の市民グループと文科省が結託して妙な動きをするというのは今に始まったことではありませんが、そういう動きに一石を投じたというのが本書の役割です。
「真っ赤な嘘」がどうやって人々の心に入り込んでいくのかを教えてくれる好著です。