定価は本体価格1400円と手ごろですが、ページ数は240。巻頭は黄色と黒の2色刷りで、巻末にはグレーの色紙を使った付録がついています。そういうスペックから見ると、この本はハード的には「お得」な作りです。かなり設定販売部数を高めにとらないと、原価計算が合わないのではないかと思われます。つまり、出版社が「この本は売れる!」と考えてリリースした本であるということです。
著者は「あの」電通のコミュニケーションデザイナー。一般に電通は「世界最大の広告代理店(グループとしては世界5位)」として知られ、日本の広告業界では2位の博報堂の2倍、3位のアサツーDKの4倍というガリバー企業として業界に君臨しています。
本書の「あとがき」には、こんなくだりがあります。
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「キミは、本当にこの仕事がしたいのか?」
僕が就職活動をしていたときに、OB訪問で言われた言葉です。
「自分はどんな人間で、これから何を目指していきたいか。それをとことん突き詰めて考えていないから、思いも熱意も、何も伝わってこない」
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これを読んだ瞬間に、かの有名な「電通鬼十則」を思い出しました。
「自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらがない」
これは鬼十則の8番目にある言葉です。鬼十則は、電通の4代目社長である吉田秀雄によって1951年に作られた行動規範ですが、軍隊的な社則としてよく知られていますね。
話を「あとがき」に戻します。著者はOBから言われた言葉に刺激を受け、その足で秋葉原の電気街に行き、アルバイトで貯めたお金をはたいて日本語ワープロを購入します。今ではもう見ることのできない日本語ワープロですが、著者(1969年生まれ)の就活時代には今のパソコンとスマホを合わせたような存在でした。まだパソコンは黎明期で、自由に日本語をあやつることができなかったのです。
著者はそのワープロを使って、自分の二十数年の人生を思い返しながら、これからしたいこと、なりたいことを想像し、2週間かけて20本ほどの文章にまとめました。それが基点となり、著者は自分の人生をかけてやりたい仕事を見つけ、それに就くことができたといいます。それが電通での仕事でした。
勤続20年の記念式典のとき、著者はその当時の気持ちを思い出します。そして衝動的に「何か行動を起こさなければ」という強い思いにかられます。就活のときは自分のために文章をまとめましたが、今度は先人から学んだことを次の世代に伝える文章を書こうと考えました。それが本書が世に出るきっかけです。
本書はタイトルの通り、脳トレの本です。どのような脳トレが提案されているかについては、「まえがき」に記されています。
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思考法や発想法の解説書を読んで学んだ手法や技術を、仕事でいきなり試そうとしてうまくいかなかった、そんな経験はありませんか? 知識を理解し、理屈でわかっていても、アタマはなかなか思うように働いてくれないものです。(中略)仕事の場面で柔軟に発想し、アイデアや企画を考えるためには、カラダ同様、日頃から「アタマの体質」を順応できるものにしておかなければなりません。それがまず何より大切なのです。
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そして、著者は自身が会得した考えるトレーニングを本書で紹介しているわけです。それには、次のような特徴があります。
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「日常の行動に、小さなブラスをするだけでできること」
「日常のスキマ時間に、道具も場所も選ばずできること」
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普通のビジネス書は、第○章といった章立てが設けられていますが、本書にはそれがありません。あるのは通し番号のついたトレーニング方法が45種類。そして巻末に「発想トレーニング」と題した付録がついています。それぞれのトレーニング方法がどんな感じかは、いくつか例示してみるとすぐにわかります。
01 毎朝、ラジオを聴く--潜在的な想像力を取り戻す
02 自販機では隣のボタンを押す--「なぜ」「どうして」を考える
07 乗換最多経路を選ぶ--点と点の結び方をあれこれ試す
09 広告のボディコピーを読み解く--込められた思いや意図を感じる
10 電話は大きな声で話す--まわりから「情報」が自然に集まる
12 単位を置き換えてみる--イメージとアクションを具現化する
16 ごはん日記をつける--流れていく日常にくさびを打つ
17 1日5本はコラムを読む--2つの軸で意見や主観を持つ
19 満月の日はプチリッチに振る舞う--「いいもの」は何が違うのかを知る
20 シャンプーは毎回違うものを買う--アクティブな消費者になる
21 路線バスの旅に出る--冒険心をかき立てる
22 写真集を「自費出版」する--編集能力を身につける
25 身近な「教室」に通う--人から直に学んで根づかせる
30 贈りものにこだわる--相手の立場になって考える
31 馴染みの書店を3軒持つ--自分のモードを切り替える
39 アイデアは手描きする--行き詰まりのプロセスは残す
40 気もちをアゲる言葉に変換する--モノゴトの本質や価値を追求する
45 おせっかい魂を持つ--知恵と工夫が詰まった余計なお世話をする
たとえば「07 乗換最多経路を選ぶ」は、A地点からB地点までの交通機関による移動を、機械的に最短経路や乗換の楽な経路で行くのではなく、わざとたくさん乗り換えるルートを選んでみようという提案です。たとえば東京の三軒茶屋から下北沢への移動は、ふつうに考えれば東急田園都市線で渋谷に出て、渋谷から京王井の頭線に乗り換えるルートが浮かびますが、それを東急世田谷線を使うルートにしてみたり、表参道から東京メトロ千代田線を使うルートにしてみたりすることで、積極的に新しい刺激を受けようというものです。
脳はルーチン化したことを嫌います。ルーチン化、パターン化した行動は好奇心を刺激しないので、「つまらない」からです。つまらない日常が続くと、脳は活動を控えるようになり、やがては退化してボケていきます。だから、日常の行動のルーチン化を避け、好奇心をかき立てる行動を自分に強いるべきなのです。
「乗換の多いルートをわざと選ぶ」というルールは、「道草」を発生させるためのきっかけ作りにほかなりません。道草はいつもと違う風景や環境を伴いますから、必然的に好奇心が刺激されます。それが脳のトレーニングにつながっていくわけです。
「19 満月の日はプチリッチに振る舞う」というルールは、「いいもの」との出会いを自分にうながすとともに、リッチに慣れて流されてしまうことを戒める効果もあります。ちょっと気取った割烹料亭や、予約の必要なフレンチに行ったり、グリーン車に乗ってみたり。仲間と一緒にプチリッチ体験を楽しみ、それを発表するのも面白いかもしれません。
そして「満月の日」というのがキモです。ふつうの人は、いつが満月かを調べないとわかりませんから、「ハレの日」を探索する行動が伴うことになります。夜空を見上げて、「あと何日かな?」と楽しみにするのもいいでしょう。これを「毎月15日」とか「毎月第2火曜日」のように機械的に決めてしまうと、ルーチン化するので良くないと著者は言っています。
「20 シャンプーは毎回違うものを買う」というのは、商品に対する感度を磨くためのトレーニングです。毎回違うシャンプーを買うことにすると、シャンプーが切れるたびに売場をくまなく探索する必要が出てきます。すると、ただ何となく選ぶのではなく、「どこのメーカーの製品か」「どんな人に向けて作られた製品か」「新製品か、定番か」といったところまで考えがおよぶようになります。
このトレーニングが目指しているのは、漫然と生きるのではなく、市場を肌で感じながら自分の仮説を持つような生き方を身につけることです。著者はこう言っています。
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仕事の場面で必要なときに、事実は調べられても、感覚や意識はすぐに持てません。だからこそ日頃から鍛えなくてはいけません。とはいえ、趣味性の高いものや高価なものならともかく、いつも使う安価な消費財となると、つい無意識に流してしまいます。ここで改めて、自分の身のまわりを振りかえってみましょう。
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巻末の「付録」には「発想トレーニング」が掲載されています。これは、著者たちが若手社員に向けた研修や社外セミナーなどでよく行っているトレーニングプログラムを紹介したものです。その内容は、以下のようなものです。
(1) 歯ブラシに「ふきだし」をつける
(2) レジ袋から即興の物語をつくる
(3) 小さなショップの開き方を考える
内容が気になる人は、書店でチェックしてみましょう。
価値のある企画やアイデアを生み出すために、今すぐできる脳トレが満載された本です。