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中学生からの大学講義1 何のために「学ぶ」のか

外山滋比古 前田英樹 今福龍太 茂木健一郎 本川達雄 小林康夫 鷲田清一 著 桐光学園+ちくまプリマー新書編集部 編 ちくまプリマー新書

820円 (税別)

ちくまプリマー新書は2005年に創刊された新書レーベルで、ちくま新書の姉妹レーベルにあたります。「プリマー」とは入門書のことですから、このレーベルは若い層を対象としたベーシックなテーマを扱うものであることがわかります。ボリュームも軽めで、原稿用紙150枚程度の内容です。2013年に通巻200点を突破し、毎月2点ずつのペースで刊行されています。

本書が第1巻である「中学生からの大学講義」シリーズは、神奈川県の中高一貫校である桐光学園とちくまプリマー新書編集部が共同で編集した全5冊の小さなシリーズです。世の中には「どうすれば大学に入れるか」というガイドはあふれていますが、「大学で何を学べるのか」についての良質なアドバイスがありません。そこで、知の最前線で活躍中の先生たちを集め、大学での講義と同じクオリティで学問を紹介する講義をしてもらおうというのが、このシリーズの狙いです。

本書に続く第2巻は「考える方法」で、永井均、池内了、菅啓次郎、萱野稔人、上野千鶴子、若林幹夫、古井由吉著。第3巻は「科学は未来をひらく」で、村上陽一郎、中村桂子、佐藤勝彦、高薮緑、西成活裕、長谷川眞理子、藤田紘一郎、福岡伸一著。第4巻は「揺らぐ世界」で、2015年4月発売予定。第5巻は「生き抜くチカラを身につける」で2015年5月発売予定です。

本書のトップバッターとして登壇するのは、英文学者にして言語学者、評論家、エッセイストの外山滋比古お茶の水大学名誉教授。タイトルは「知ること、考えること」です。外山教授はいきなり、「100点満点は人間の目指すべきことではない」と、少しでも高い点数を獲得することを目指してきた日本の常識を切って捨てます。それだから、日本社会は活力を失ったのだというのです。

「今では大学に行く人の数は昔の何十倍、ひょっとすると百倍を超すかもしれない。みなさん、大学に受かるのが優秀な人間なんだと勘違いしている人もいるかもしれないが、考えを改める必要がある」続けて、外山教授はこう言います。満点をとるというのは、単に頭が機械的に優秀であるというだけだと。そして、人間の個性は失点部分にこそ表れると指摘します。

外山教授が教員時代、クラスでカンニングが疑われました。そこでカンニングをした生徒を発見するために、ユニークな方法を導入したのです。それは、まったく同じ箇所で間違っている答案を探し出すというものでした。記述式の問題の場合、同じ箇所で同じように減点されるということは、まずあり得ないことなのだそうです。

外山教授はこう言います。「丸覚えした知識を試験の時に書き連ね、その点数がいいと優秀であると喜ぶのは、もはや単純で、遅れた考え方なのである」と。そして、これからの時代は、いままでと少し違った勉強が必要であると言います。これまでは「知識」をたくさん持つことを目指してきたが、これからは知識と反比例の関係にある「思考力」を磨く必要があるというのです。

その思考力をどう磨くかについては、トーマス・カーライルの次の言葉が引用されています。「経験は最良の教師である。ただし、授業料が高い!」。つまり、苦しい経験、痛い経験、辛い経験こそがわれわれをたくましく育ててくれるというわけです。最後に外山教授は、『寺田寅彦随筆集』『坊ちゃん』『内田百閒随筆』の3点を参考図書として紹介してくれています。

2番目に登壇するのは、フランス文学者で文芸・映画評論家の前田英樹・立教大学教授です。タイトルは「独学する心」。前田教授は「独学者」の見本として二宮金次郎をとりあげます。かつてどこの小学校にもあった二宮金次郎の像は、薪を背負って本を読んでいます。その本は何の本だろうと、幼かった前田教授は思ったそうです。

その本は、中国古代の儒学の本で『大学』といいました。金次郎はその本を繰り返し読むことで、専門の学者をも寄せ付けない深い読み方ができるようになりました。なぜ貧しくて学校に行けなかった金次郎が専門家よりも深い理解をしたか。それは、自分の信じる本を繰り返し読むことが悦びだったからです。

金次郎は幕末の時代に各地の荒れ果てた農村を再生し、農政家と呼ばれるようになります。「金次郎のことを君たちはどう思うだろう。彼もまた私たちとまったく同じ命を持った人間である。では、どうして私たちは金次郎のようにはふるまえないのだろう。このことをよく考えてみたほうがいい。まず、君たちは金次郎のように自分で選んだ1冊の本を一人で繰り返し、読むことができるか。金次郎にはできた。なぜだろう。彼の心は、子どもの頃からすでにじゅうぶんに独立していたからである。独学する心が火のように燃えていた」

独学することは、人間の限界のうちにしっかりと自分を据えて生きる覚悟をする、ということであると前田教授は言います。そして独学のためには、愛読書と尊敬する人を持つことが必要だそうです。ただし、今生きている人が書いた本や、今生きている人を尊敬するのはやめたほうがいいと注意してくれています。

「生涯愛読して悔いのない本を持ち、生涯尊敬して悔いのない古人を心に持つ。これほど強いことはないのではないかと、私などは思っている。こういうものは、独学によってでなければ得られない。これを持つことのできない人は、どんなにたくさんのことを知っていたってつまらない。独学の覚悟のない人は、つまらない」

なぜ、普通の教育よりも独学がいいのか。それは、言葉で教えられたことはただの知識なので、すぐに忘れてしまうからです。自分で考え、自分で学んだこと、自分の身体を使って発見したことは忘れない。それは知識ではなく、身についた自分の技だからです。最後に前田教授は、内村鑑三『代表的日本人』、柳宋悦『工藝の道』、西岡常一『木に学べ』の3点を参考図書として挙げています。

次に登壇するのは、文化人類学者で批評家の今福龍太・東京外国語大学大学院教授です。タイトルは「学問の殻を破る--世界に向けて自己を解放すること」。今福教授は虫に興味を引かれた子ども時代を振り返りながら、ファーブルの『昆虫記』の話を展開します。ファーブルは昆虫観察では有名だけれど、学者としては変わっていました。ダーウィンの「進化論」を本気で批判し、詩人としても作曲家としても活躍しました。古い少数言語の保護にも力を注ぎました。

今福教授は、そんなファーブルの生き方に共感を覚えたそうです。「学問はアカデミズムの専門家だけで成立するのではなく、民間の愛好家やアマチュア学者によっても支えられている。学問はわれわれの日常世界と無縁ではない。アカデミズムの外にも広大な学問の世界はあるのだ」と。

そして今福教授は「わかりにくいものほど、おもしろい」と言います。「わかりやすいことが今、とても安直に求められている傾向が目立つ。でも『わかりやすいこと』は、すでにある、誰もが知っている情報のパッケージとして組み立てられているから『わかりやすい』のだ。新しい発想や理論、新しい知識や知恵というものは、まだ情報としてパッケージ化されていない。だから新しいものには、はじめ必ずわかりにくさがつきまとう」

今福教授の挙げた参考図書は、W.H.ハドスン『緑の館』、L.ヴァン・デル・ポスト『カラハリの失われた世界』、ケネス・ブラウワー『宇宙人とカヌー』の3点です。

以下、脳科学者の茂木健一郎・ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員は「脳の上手な使い方」という講義を、生物学者でシンガーソングライターの本川達雄・東京工業大学名誉教授は「生物学を学ぶ意味」という講義を、哲学者の小林康夫・東京大学大学院教授は「学ぶことの根拠」という講義を、哲学者の鷲田清和・大阪大学名誉教授は「『賢くある』ということ」という講義を、それぞれわかりやすい言葉で語っています。

今までの日本で必要とされていたのは、たくさんの知識であり、先人たちのノウハウでした。しかしそれは明治維新から近代国家を作り上げた日本が、欧米に追いつけ・追い越せと突き進むために必要な素養であり、日本がトップランナーの一角に位置してからは、むしろ邪魔なものになっていました。

2020年からスタートする新しい大学入試は、学校のあり方や授業の内容を一変させるきっかけになるでしょう。知識よりも思考力、ノウハウよりも生きる力を重視する時代の幕開けです。そういう時代の「本物」を知るために、本書は格好の入門書となるはずです。


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