本書の表紙を見た人は、「どれがタイトルなんだろう?」と悩むかもしれません。右上に「無人探査機『江戸っ子1号』プロジェクト」、左下に「『産官学金』の連携と男たちの夢が世界初の深海撮影を成功させた」というコピーがあり、タイトルの行間には「『負けてられねぇ!』--。ニッポンの技術者は逆境に強い!」というキャッチコピーが挟まれています。
しかもタイトルが印刷されているのは本の高さの3分の2を占める大きな帯。最近は本当に大きな帯(「腰巻き」と呼ぶ業界関係者もいます)が増えました。試しに帯を外してカバーを眺めてみると、もう少しおとなしい表紙になります。
出版元のかんき出版は、1977年創業という比較的歴史の浅い会社です。創業者の神吉晴夫氏は光文社で「カッパ・ブックス」をスタートさせた伝説の出版人で、キングレコード時代は童謡プロデューサーとして「かもめの水兵さん」などをヒットさせました。
のちに光文社の2代目社長になり、「女性自身」を147万部のお化け雑誌に育て上げますが、70年安保闘争の影響で光文社に労使紛争が発生、社長を辞任してかんき出版を立ち上げました。しかし、創業直後に神吉社長は逝去してしまいます。
その後、かんき出版は「手にとるようにわかる」シリーズ、「90分でわかる」シリーズなどが大ヒットし、ビジネス書の出版社として業界に確かな地位を占めるようになります。現在、同社のホームページ(https://kanki-pub.co.jp)を見てみると、出版活動と社員研修業務がほぼ同格に扱われていて、この会社のユニークな立ち位置がわかります。
それでは、本書の内容に移りましょう。本書は苦境にあえぐ町工場が、下請け脱却をはかるために自分たちの技術で深海潜水艇を作り、海底探査をしようという大プロジェクトを追ったノンフィクションです。
著者は東京富士大学客員教授でもあるノンフィクションライター。『インフラの呪縛 公共事業はなぜ迷走するのか』『原発と権力』(共にちくま新書)、『国民皆保険が危ない』(平凡社新書)など多数の著書があります。
本書の巻頭にはカラー4ページの口絵があり、その最初のページには深海潜水艇「江戸っ子1号」の構造と開発・製作を担当した会社名が記されています。「通信球」の製作は浜野製作所、トランスポンダは海洋電子工業、照明球はツクモ電子工業、撮影球はパール技研、ガラス球は岡本硝子、プロジェクト管理は東京東信用金庫といった具合です。
さらに本文の前には「主な登場企業と人物関係図」が掲載されています。まるで複雑な経済小説のようです。「プロジェクト推進委員会」は杉野ゴム化学工業所の杉野行雄とパール技研の小嶋大介、浜野製作所の浜野慶一、ツクモ電子工業で構成され、研究機関は海洋研究開発機構の土屋利雄と松浦正己、新江ノ島水族館の杉村誠が、協力大学は芝浦工業大学、東京海洋大学の人々が名を連ねています。
では目次を見てみましょう。
はじめに
主な登場企業と人物関係図
第一章 「ガラス球」の懐かしい未来へ
第二章 試行錯誤
第三章 奮闘する黒衣たち
第四章 深海八〇〇〇メートルの先
第五章 世界市場に挑め!
江戸っ子一号の軌跡
おわりに
第一章の冒頭は、杉野ゴム化学工業所の杉野行雄が酒場で親しい経営者仲間に「海」への思いを切々と語りかけるところから始まります。
「日本が狭い国だと思っていたら、大間違いだ。海に目を向けてごらん。沿岸から200海里、約370kmまでの範囲は、排他的経済水域、EEZと言ってね、経済的な権益を持てる。海岸線が長い日本は、このEEZがべらぼうに広い。領海と合わせれば、447万平方km、中国の海の約5倍。世界で6番目の広さなんだよ」
「広いだけじゃない。海底には鉄にマンガン、コバルト、亜鉛、銀、銅……と、金属を大量に含んだ鉱床がある。魚介類の水産資源だって膨大な量だ。そのうえ、海底から300~400m下の地層には、メタンガスが氷結したメタンハイドレートが眠ってる。日本の天然ガス消費量の数十年分が埋蔵されているっていうから驚くよ」
こうして、町工場連合による深海探査ロボットの開発がスタートします。おりしもアメリカではサブプライムローンの焦げ付きからリーマンショックが起き、世界中の金融機関が破綻に直面していました。全国の町工場には逆風が吹きつけ、首を吊る経営者が後を絶ちませんでした。
資金繰りに奔走する町工場の経営者に刺激を与えたのは、東大阪市の町工場が開発に携わった小さな人工衛星「まいど一号」の成功でした。2009年1月にH2Aロケット15号機で打ち上げられた「まいど一号」は、毎秒7.5キロの速度で地球のまわりを周回しながら、気象予報システムの実用化に向けて雷などの観測を行いました。
東大阪に対抗心を燃やす東東京の町工場は、杉野と浜野製作所の浜野慶一を中心として深海探査ロボットの開発をスタートさせます。東東京信用金庫がプロジェクトの仕切り役となり、芝浦工業大学や東京海洋大学が協力、さらに深海のプロである独立行政法人の海洋研究開発機構がバックアップしてくれることになりました。こうして「産学官金」の連携が完成したわけです。
もちろん、目の前に立ちはだかる「壁」がいくつもありました。最も困難だったのは、「水圧との戦い」です。深さ6500mの海では、1平方センチの面積に650kgもの水圧がかかるのです。たとえていえば、指先に軽自動車を乗せるようなものです。
また、深海には光が届かず、電波も使えませんから、音波で地形を調べ、位置を測定するシステムが不可欠になります。さらに町工場の人たちを窮地に追い込んだのが「コスト」でした。最も丈夫なチタン合金を使うためには、億単位の開発費が必要であることがわかったのです。
それを「ガラス球」という古い解決策で乗り切り、度重なるピンチもはね返したプロジェクトは2013年11月、ついに水深7800mでの撮影に成功しました。そして翌2014年、内閣総理大臣賞を受賞したのです。
小説ではないのでストーリーは滑らかには進みませんが、手に汗握る開発と実験のドラマとハッピーエンディングは、夢を持つことの大切さと技術開発の価値を教えてくれます。