今でこそ「今度の新型車両は誰がデザインしたんだろう?」と、鉄道車両のデザイナーが話題になるようになりましたが、それはここ四半世紀ほどのことです。それ以前は、たとえば東海道新幹線の0系や500系を誰がデザインしたかなどは、話題にもなりませんでした。
鉄道車両のデザインにスポットライトが当たるようになったのは、JR九州が次々と斬新な車両を発表するようになってからです。そして、それらの車両は水戸岡鋭治と彼の率いるドーンデザイン研究所がデザインしていました。そして、水戸岡鋭治は鉄道車両のデザイナーとして第一人者になりました。
水戸岡鋭治は岡山県出身。岡山工業高校を卒業後、大阪やミラノのデザイン事務所に勤務。1972年に独立してドーンデザイン研究所を設立し、家具や建築のデザインを始めます。水戸岡は名前に反してのんびり屋で不器用、鈍くさい少年だったため、ついたあだ名が「鈍治(どんじ)」。しかし彼はこのあだ名を気に入っていて、ドーンデザイン研究所の名前もそこから来ています。
1988年、福岡市にある「ホテル海の中道」のアートディレクションを手がけたことから、彼とJR九州との付き合いが始まります。そして福岡近郊の観光名所として海の中道の人気が高まったことから、ジョイフルトレイン「アクアエクスプレス」のデザインを依頼されました。これは国鉄時代のディーゼルカーを改造したものでした。
1992年には、787系電車「つばめ」のデザインを担当。ブルーリボン賞、ブルネイ賞、グッドデザイン認定、松下電工ライティングコンテスト最優秀賞などを受賞し、国内外から高い評価を得ます。続けて883系電車「ソニック」、885系電車「かもめ」、九州新幹線800系電車「つばめ」と次々とヒット作を発表。JR九州の標榜する「鉄道ルネッサンス」をものづくりの面から支えました。
彼の集大成となったのが、2013年の10月にデビューした豪華寝台列車「ななつ星in九州」です。1人あたりの価格が1泊2日で15万円~40万円、3泊4日で38万円~95万円という破格の値段にもかかわらず、2013年の平均倍率は7倍を超え、プラチナチケットとなりました。この大成功に刺激を受けたJR東日本と西日本は、相次いで同様の企画を推進しています。
本書はそんな水戸岡のデザイン観、仕事観をまとめたものです。帯には「水戸岡が仕事の心構えと覚悟を語る本はこれが最後」とありますから、文字通りの「集大成」と見ていいでしょう。判型はA5判と大判で、巻頭16ページはカラー口絵となっています。税別2000円とやや高めの本ですが、240ページでずっしりと重たい大判の本ですから、納得できます。
まずは目次からご紹介しましょう。
序章 はじめに・デザイナーはアーティストではない
第1章 雇い主に盾突く
第2章 本当の顧客に尽くす
第3章 攻撃的職人列伝
第4章 「ななつ星」でできたこと
第5章 鉄道車両は椅子が命
第6章 時には妥協もします
第7章 コピー上等
第8章 贅沢だけど高価ではない
第9章 青臭くてもやり通す
第10章 稼ぎ仕事と務め仕事
第11章 次は「或る列車」
第12章 大分の駅を引き受ける
第13章 クルーズは再び海へ
第14章 街づくりはお任せください
第15章 これからは提案します
終章 終わりに・盾突くということ
序章で著者は「デザイナー」の仕事についてていねいに解説しています。
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「デザイナー」と聞いて、みなさんはどのような印象を持たれるでしょうか。デザイナーの仕事って、かっこいい、優雅なものではありません。ひらめきだけで、美しさだけで、感性だけで、ささっと線を1本描くアーティストのような仕事ではありません。
(中略)
デザイナーというのはもっと手間ひまかかる面倒なブルーカラーに近い仕事です。闘いと説得の連続です。顧客の要求を汲みとり、交渉し、妥協し、予算を管理し、値切り、請求書を発行し、地べたを這いまわってものを創り上げていく。アーティストというより、むしろ技術者、設計者、いや職人の仕事に近い、つまり“ものづくり”の仕事なのです。
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オリンピックのエンブレムで「パクリデザイナー」が話題になりましたが、本書を読む限り、デザイナーという仕事はずいぶん泥臭く、苦労の多いものであるようです。魔法の杖で魅力的なものをこしらえるのではなく、現実に存在する膨大な要素を突き合わせ、選択し、最善と思える形に仕上げていく。孤独な魔法使いではなく、精力的なプロジェクトリーダーといえる存在です。
実際に著者はどんな仕事をしているのか。それは序章の「絵を描くという力」で以下のように示されています。
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デザイナーというのは顧客と職人とをつなぐ仕事です。絵はそのためのコミュニケーションのツールです。技術者、設計者同士は図面でコミュニケーションします。
(中略)
図面は技術屋にしか伝わりません。文字だけの企画書ではピンと来ません。質の高い“絵言葉”は、会社を動かすプレゼンの道具として強いんです。重要な決断をする偉い人は、図面をじっくり見る時間がなく、即座にわからないんです。顧客、発注者、職人とコミュニケーションするには完成予想図、つまり絵が必要です。
(中略)
僕たちは経営者に、決めやすいように、わかりやすいように、瞬間的に見るだけで判断ができるように、準備をしアシストする係です。
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第1章ではいきなり「盾突く」という穏やかならざる言葉が出てきます。その言葉の意味は、「発注者の言いなりにならない」ということです。クライアントのイエスマンであっては、外注者である意味がありません。あくまでもクライアントの発想内でしか仕事ができないからです。殻を破り、斬新な価値を提案するためには、クライアントが腰を抜かすようなものを持ち出さなければなりません。
著者は、従来の鉄道車両で「タブー」とされていたことを次々と提案しました。すると当然ですが反発されます。それをなだめ、説得し、ときには妥協して主張を通していく。たとえば内装材に「木」を使うことでは、こんな闘いがありました。
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僕は車両の床は木にするべきだと思います。木は人間の体温を保ってくれるので、人間にとっては心地いい、自分を守ってくれる素材なんです。土も、紙も、草も、わらも、竹も、石もみんなそうです。
(中略)
初めに木を使ったときは大変でした。在来線つばめ「787系」に木を使おうとしたときのことです。JR九州の人が、「燃える」「傷つく」「腐る」と木の弱点ばかりあげつらうのです。
(中略)
「安全のために燃える素材を使わない」というのは正しい。しかし「安全のために木材を使わない」というのは正しくない。問題は安全かどうかです。木かどうかではないのです。「木を使いながら燃えないものを造る」技術を工夫すればいいのです。
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同様に、著者は車両の内装材にガラスを使うことでも反対の大合唱を乗り越えました。
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JR九州も製造を担当する車両メーカーも声を合わせて大反対。メーカーの人は予算が合わないからダメ、手間がかかるからダメって言う。JR九州は危険だからダメ。揺れる列車の中でガラスを使うと割れるって言うんです。冗談じゃない。今だって窓ガラスは使っているじゃないか。でも仕切りのガラスは別の話になってしまうんです。今までやったことないことをやるのはまず危険だと。顧客にとって危険なんじゃなくて、会社員としての自分の立場が危険なのね。
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第2章では「本当の顧客」という言葉が出てきます。本当の顧客とは、JR九州ではなくてJR九州を利用するお客さんのことです。
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このようにJR九州に盾突くのにはわけがあります。僕は本当の顧客に尽くしたいのです。この25年間、ずっとJR九州の仕事をやってきました。ただし、JR九州は雇い主ではありますが、本当の顧客ではありません。本当の顧客は最終ユーザーです。列車に乗るお客さんです。子供やお年寄りなどの利用者です。
(中略)
僕は利用者の代表として、ものを申したい。自分がやりたいことのために闘うのではなくて、ユーザーのために闘います。JRの立場とか、建築家の立場とか、ゼネコンの立場とか、職人の立場とか、そういうことは一切考えたくないんです。利用者から見たときに、この値段でちゃんと価値があるかどうかで勝負します。
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素晴らしいのは、著者のそういう姿勢を発注者であるJR九州がきちんと理解してくれていることです。
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この点はJR九州にも確認してあります。「JR九州側に立たないでデザインしていいですか。僕は利用者の代表としてデザインしたいのです」とお願いしました。JR九州は「いいです」と答えた。それを前提に発注してくれるんだからありがたい。それだったら力が出ます。それだったらいろんな人が参加してくれる可能性があります。
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では著者は何をもって「正しい」と判断しているのか。独断と偏見に陥らないための指標はどこにあるのか。それについては次のように記されています。
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自分たちの子供と次の世代を考えて、ものを決めると、間違いが少なくなる。正しい決定ができると思います。それは目先の利便性や経済性を優先することではなくなる。長期の展望でものを決めていくから、正しい答えが出るんですよ。だから子供たちに心地いいもの、新しいもの、感動するものを提供することが必要です。65歳以上の高齢者も大切です。子供たちが最初に乗る車両や最初に来る駅を素晴らしいものにする。私たちの大人の知恵を全て使って全力でつくることが大事です。子供は最初に見たものが、ものを考える基準になっていくわけですから。
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著者は今、「或る列車」というプロジェクトを手がけています。1人2万円くらいで、車窓を流れる景色を見ながらスイーツのフルコースを楽しむことができる列車です。タイトルの「或る列車」とは、JR九州の先祖である九州鉄道の時代にあった豪華列車のアイデアで、それを100年越しで実現するものです。夢とロマンに満ちた泥臭い仕事のドラマを、どうか本書でお楽しみください。