「ちくまプリマー新書」は若い人向けに作られた入門書的な新書シリーズです。1冊あたりの原稿分量が400字詰め原稿用紙で150枚程度と非常に少なく(普通は400~600枚)、興味のあるテーマをささっと知りたいときに役立ちます。どんな本があるかは、こちらをご覧ください。
さて、本書のタイトルに含まれる「流域」という言葉ですが、まずこれをおさらいしておきましょう。
【流域】大辞林第三版
ある川が降水を集めている範囲。また、川の流れに沿った両岸の地域。
つまり「雨が降り、川となって海に注ぐ」という自然現象に注目したとき、ある場所がどの川に所属しているかを示すのが「流域」という言葉になります。住所というのは人間が適当にこしらえたマッピングの定義ですが、それを無視して流域で住所を定義しようとすると、「流域地図」ができあがります。
たとえば、私(おちゃのこ山崎)の事務所があるのは埼玉県小川町大字大塚というところですが、これを流域地図で言い直すと、「荒川水系槻川流域」となります。大洪水が起きたら、私は槻川からあふれた水で押し流され、兜川と合流してから都幾川に注ぎ込み、越辺川、高麗川、入間川を経て荒川に入り、途中で隅田川と分かれてから江東区と江戸川区の区境で東京湾に至るわけです。
でも、それは「ふーん」という話でしかありません。ノアの方舟のような大洪水が近いうちに起こる可能性は低いでしょうし、自然界の住所を知ったからといって、どこかから特別な郵便が届くわけでもありません。いったいなぜ、本書が世に出る必要があったのでしょうか。
それについて、著者はちゃんと「まえがき」で説明しています。少し長くなりますが、引用してみましょう。
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何の本だろう。
ページを開いて、ハテナ、のあなたがいたかもしれない。地図が話題になっているが、地理や地学の本ではない。自然環境の保全も話題だが生態学の本でもないようだ。水害や防災も大きな話題なのに防災額の本ではもちろんない。さらになにやら哲学のような話題まである。
それもそのはず。それらすべてに関係しつつ、中心テーマはそのどれでもない本なのだから、ハテナは当然といえば当然である。
著者の意図をいえば、本書は、現在、そして未来世代が、環境危機の地球をそれぞれの暮らしの足元で明るく見通しを持って生き抜いていくための環境革命の地図戦略の本。
地球という生命圏のリアルな姿をすっかり忘れた産業文明の私たちが、大地の凸凹と循環する水とにぎわう生きものたちでできている生命圏を再発見し、その危機に足元から付き合いなおし、温暖化や生物多様性危機で大変貌していく地球に再適応していくために必要な足元の大地の凸凹世界を再獲得するための入門書。
雨の降る生命圏の大地は、どこであれ流域という地形・生態系を単位としてできあがっている。流域という地図、地形、生態系にさまざまに親しみ、流域を枠組みとした環境対応を軸として未来をめざす「流域思考」がテーマなのである。
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この文章に書かれたことを具体的に理解していくためには、第1章に読み進む必要があります。
第1章 「流域地図」をつくってみよう
・「川」を軸に自分の居場所を把握する
・身近な川をたどってみよう
・自分の水系を探る
・川はどう流れていくのか
・川はさまざまな地形をつくり出す
・沖積低地に広がる川の地形とは
・流域の特徴は、「尾根があって、低地がある」
・地形図を使って「尾根」と「谷」を見つける
・自分の足で「流域」を歩いてみる
・身近な流域を探してみよう
・流域は自分でもつくれる
まず著者が読者に求めるのは、川がしっかり載っている地図を用意して、自分の家の周囲にどんな川が流れているかを確認することです。そしてその次は、その川の源流と河口を確認すること。源流や河口が他の川になっていることもあります。
本流と支流をすべて合わせたものを「水系」と呼びます。企業グループのようなものです。関東では「荒川水系」「利根川水系」が有名ですね。yahoo地図のオプション表示である「水域図」を見れば、自分のいるところがどんな水系に所属しているかがすぐわかると著者は言っています。
ここで著者が読者に確認を促すのが、「川は高いところから低いところに流れる」という自然法則です。地球上の文明はほとんどが沖積平野に築かれていますが、この沖積平野は今から7000~6000年前、海水面が2~7m高かった「縄文海進」のころに作られました。海水面が下がるにつれて、川から土砂が運ばれて河口に平野ができたというわけです。世界のほとんどの大都市が、そこにあります。
その事実は、裏を返せば再び海面が上昇すれば、世界の大都市のほとんどが水没するということを意味します。流域地図を確認することは、低地の様子を知ることでもあります。
その次の作業は、等高線の載っている地形図を入手し、自分の流域の「尾根」と「谷」を知ることです。国土地理院のホームページにある「ウォッちず」でも確認できます。「尾根」というと私たちは高い山の稜線のことだと思ってしまいますが、尾根とは分水界のことで、平地にもあります。雨の日に水が左右に分かれて流れているような場所が「尾根」です。古代の住居跡などは例外なく尾根にありますが、それは昔の人たちが水害に遭いにくい場所を選んで家を建てたからです。
続いて第2章では、川と人間の関係を調べます。
第2章 流域とは?
・人は川の恵みによって生かされてきた
・エネルギー源、流通の要としての川
・地球環境の危機で、治水がますます重要になる
・川は自然のにぎわいを育む
・自然の小さな変化が、生態系に大きく影響する
・川は「地球の水循環」の一部である
・日本を流域で区分けしてみる
・「流域地図」であなたの住所を記してみると
・「流域地図」で、あなたがいま、どの大地にいるのかがわかる
・「地図」が大地のデコボコを忘れさせる
・「流域地図」は生きものとのつながりに気づかせる
コラム 緑におおわれた完璧な流域「小網代」を歩く
産業革命以前の人間たちは、川と密接な関係を持って暮らしていました。飲料水や生活水を川から得るだけでなく、川で食料を獲り、水車などで川の流れをエネルギーとして使い、船を使って川を交通手段として利用しました。川の近くには肥沃な平地があり、世界の四大文明が大河のほとりで発祥したことは、歴史の授業で習った通りです。
産業革命以前は人間が安定的に利用できるエネルギー源のひとつが川でした。川岸に設備された水車は、揚水ポンプ、粉ひき動力、製糸動力、精米動力などに利用されました。今でも、水力発電は電力需要の柱であり、原発事故以降、その重要性はますます増しています。今後は、ダムを作らずに利用できる小水力発電が注目されるでしょう。
現代人にとっては当たり前の存在である護岸や堤防は、古人が知恵とエネルギーをふりしぼって治水事業を行ってきた結果です。かつては利根川が東京湾に注いでいたということを知らない東京人が増えていますが、徳川幕府が銚子を河口にするように流れを変えるまで、利根川は江戸を水浸しの土地にしていました。徳川家康が移封されるまでの関東で利用できる土地というのは、埼玉や東京都下であって、江戸は日比谷まで海でした。
「流域地図」の考え方で日本地図を区分けしてみると、おもしろいことがわかります。たとえば関東はほとんどが利根川水系で塗りつぶされ、関西は大半が淀川水系に所属します。水系は生態系と密接な関係がありますから、流域地図で日本列島を眺めていくと、自然界の区切りがよく理解できるようになります。
第3章で著者は、私たちに言いたいことを示しています。
第3章 「流域地図」で見えてくるもの
・大人や子どもの大地に対する感覚がおかしい!?
・人間は母語を習得するように「すみ場所」感覚を身につける
・地球忘却の「すみ場所」感覚の人が増えている
・地球環境はいま、危機に直面している
・「流域地図」で地球との距離感を取り戻す
・文明はそれぞれに、生きるための「地図」を持つ
・産業文明は平面的なデカルト・マップが基準
・足元の大地を見つめ直す
・洪水は、行政区を越えて流域で起こる
・「里山」での保全の問題点
・地球の危機に、これまでの「地図」では対応できない
・「流域地図」に基づいた「鶴見川流域総合治水対策」
・「50年に1度」規模の大豪雨への対策は不十分
・「流域」が丸ごと残された三浦半島・小網代
・動き出した鶴見川流域の「水マスタープラン」
・「水マスタープラン」の5つの柱
・「水マスタープラン」の今後の課題とは
・都市と自然の共存をめざして
・「自然の地図」はいくつになっても習得可能
コラム 流域地図で市民が動いた~鶴見川流域のTRネットの活動について
つい最近の天気でも意識せざるを得ないように、大豪雨が頻発して地球環境が危機的状況にあることがわかるようになりました。地球温暖化による海面上昇も、「2100年までに海面水位が最大82cm上昇する」という予想がたびたび上方修正されてきています。
そのような地球の危機を招いたのは、地球の限界を考えずにエネルギーを駆使して大量生産、大量消費を行った産業文明です。地球の自然環境に対して人間たちが「よそ者」のようにふるまった結果、地球の生命圏が限界に達しようとしているわけです。
著者は私たちに、「今こそ地球との距離感を取り戻そう」と提言しています。その道具が「流域地図」です。たとえば大洪水は行政区域と関係なしに起こります。2011年9月に名古屋が台風15号で水没しかかりましたが、そのときの雨は岐阜県の庄内川上流に降り注いだものです。庄内川という流域単位で治水を考えなければ、いくら名古屋市が税金を投入しても市民を守ることはできません。
自然災害を契機に、人と自然との関わりを考えるための良書です。