前回に引き続き、翻訳書を紹介します。現在の出版界では、日本の著者による新刊本が軽量化している傾向にあるのに対して、翻訳書は重厚長大なものが目立ちます。
本書も2,400円という価格に見合った、ずっしりとした本です。総ページ数は600ページ近くで、巻末の索引と註だけで98ページもあります。
本の装幀はソフトカバーに近いハードカバー。一般に書籍はソフトカバーとハードカバーに大別され、ソフトカバーは「並装」または「略装」と呼ばれます。本来の書籍の造本に比べて簡易な作りだからです。
くわしいことは省きますが、製本様式にはいろいろな決まりがあり、それを略して簡易的な作りにしたものをソフトカバーと呼んでいるわけです。現在のソフトカバーには表紙にカバーを掛けてあるものが多くなっていますが、それがあるかないかは本の分類には関係ありません。
ところが、最近はソフトカバーとハードカバーの境界があいまいになっています。本書もそのひとつで、見た目や手に取った雰囲気はハードカバーなのに、細かく見ていくとソフトカバーに近い作り方がされています。
具体的には、表紙が「ハード」ではなく、少し柔らかい材料で作られています。そして、表紙と見返しの間に芯材が挟まれてなく、直に貼り付けられています。おそらくコストを下げ、親しみやすい雰囲気に仕立てるためでしょうが、背景には製本現場における手作業の熟練者が減っていることもあるでしょう。おそらく、これからもこういう造本の書籍が増えていくのではないでしょうか。
本書は、タイトルの通り「人類の不老不死化」を論じた内容になっています。著者のデビッド・A・シンクレアは世界的に有名な科学者、起業家で、老化の原因と若返りの方法に関する研究で知られる人物です。ハーバード大学医学大学院で遺伝学の教授を務め、2014年には「タイム」誌による「世界で最も影響力のある100人」に選ばれています。
もう1人の著者として名前を連ねているマシュー・D・ラプラントはユタ州立大学で報道記事ライティングを専門とする准教授。ジャーナリスト、ラジオ番組司会者、作家、共著者として活躍している人物です。おそらく本書の内容は前者が、執筆は後者が担当したのでしょう。
本書の帯には「誰もが人生120年時代を若く生きられる」「人類は老いない身体を手に入れる」というコピーが並んでいます。まさしく「不老不死」です。
寿命がいくら延びても、身体が老化して寝たきりになってしまっては、あまり楽しくありません。年を取りたくない、いつまでも若いままでいたいというのは、不老不死の霊薬を求めた秦の始皇帝の時代から、人類の永遠のテーマとなっています。
本書はその願いが叶うのかどうかをくわしく論じたもので、結論はカバーの袖に記されています。
「生命は老いるようにはできていない」
「老化は治療できる病である」
「もはや老いを恐れることはない」
これが事実であれば、まさしく人類の世界観や人生観、社会の構造が一変してしまうでしょう。もちろん、それが今すぐに現実のものとなる可能性はきわめて低いと思われますが。
それでは、本書の目次を紹介します。
・はじめに――いつまでも若々しくありたいという願い
○第1部 私たちは何を知っているのか(過去)
・第1章 老化の唯一の原因――原初のサバイバル回路
・第2章 弾き方を忘れたピアニスト
・第3章 万人を蝕む見えざる病気
○第2部 私たちは何を学びつつあるのか(現在)
・第4章 あなたの長寿遺伝子を今すぐ働かせる方法
・第5章 老化を治療する薬
・第6章 若く健康な未来への躍進
・第7章 医療におけるイノベーション
○第3部 私たちはどこへ行くのか(未来)
・第8章 未来の世界はこうなる
・第9章 私たちが築くべき未来
・おわりに――世界を変える勇気をもとう
本書の「はじめに」は、他の本と大きく異なっています。それは長く、著者の人生を振り返りながらひとつの物語になっています。その後半で、著者はこう語っています。
***
私は30年近くにわたって、生物としての人間の仕組みや機能を研究しながら真実を追い求めてきた。(中略)長く元気でいられるようになる時代は近づいている。たんに寿命が延びるだけでなく、新たに加わった年月を健康で生き生きと幸せに暮らせる時代だ。それは、みなが思っている以上に早く到来しようとしている。
***
第1部は生命科学のこれまでの歩みを紹介しながら、「老化」のメカニズムに斬り込んでいきます。たとえば、第1章にはこんな項目があります。「老化の原因に注目すべき理由」
「老化に原因がある、それもたった1つ」と聞くと、多くの人は耳を疑うでしょう。ふつうの人は、年を取るのは自明のことで、老化はそれにともなう結果として受け入れているからです。
それは生物学者や医師も同じでした。彼らがやってきたことは、老化に伴う病気をどう治療するかというものでした。
著者は、その姿勢にはよく似た事例があるといいます。かつてガンとの戦いは症状にどう対処するかというものでしかなく、なぜガンができるのかには着目されていませんでした。しかし、現在ではガン遺伝子が発見され、世界の製薬会社はガン遺伝子が作り出すタンパク質を狙い撃ちにする薬を研究するようになりました。そう遠くない将来、放射線治療や化学療法は過去のものになると考えられています。
老化について考えていくと、「なぜ生物に寿命があるのか」という疑問に突き当たります。アリストテレス以来、長らく「それは後進に道を譲るため」と考えられてきましたが、著者はばっさりとその説を切り捨てます。生命は自分が長く生きることしか考えていない、と。
では何が生命を老化させるのか。著者の答えは「エピゲノムという遺伝情報の喪失が原因」です。
エピゲノムというのは、アナログの遺伝情報です。一般に知られている遺伝情報は、DNAに書き込まれたデジタル情報で、4種類の塩基の配列で記されますが、最新の生命科学では、それ以外にDNAの折りたたみ方などのアナログ情報も重要な機能を担っているとしています。
そうでなければ、まったく同じDNAを持った細胞が何百種類もの異なる役割に分化していくプロセスが説明できません。そのプロセス全体を調整しているのがエピゲノムだというのです。
アナログ情報には無制限にさまざまな値を格納できるという利点がある半面、時間とともに劣化するという欠点があります。そして、コピーするたびに情報が劣化していきます。これは写真のスキャンやオーディオテープのダビングで誰もが経験していることです。
そして、生命にはその劣化を防止する仕組みも備わっています。著者はそれを「長寿遺伝子」と呼んでいます。長寿遺伝子は体内で監視ネットワークを作り、寿命を延ばす働きをしているのです。
この長寿遺伝子を活性化すれば、「老化という病気」を根本的に治療することが可能になります。ここまでが第1部の内容です。
第2部では、現在までに生命科学が到達したところを解説しています。その冒頭に、「健康長寿のために誰もが取り組めること」いう項目があります。今すぐ健康長寿を実現する方法です。
・野菜や豆類、全粒の穀物を多くとり、肉や乳製品、砂糖を控える
・食事の量や回数を減らす
これらは大昔から指摘されてきた健康法ですが、なぜそれが有効なのかといえば、カロリー制限をして身体をぎりぎりの状態に保つことが、長寿遺伝子を活性化し、老化を遅らせるからです。
また、ふだんはいつもと同じ食生活でも、短期的な断食を繰り返すことでも、同じ効果が得られると著者はいいます。
なぜ肉が危険なのかについては、動物性タンパク質が老化を促進するからと説明されています。植物食はタンパク質が少ないため、動物食を多くとる人よりも植物食を多くとる人のほうが長生きです。
そして運動の効用についても科学的に解明されています。適度な運動を継続している人は、長寿遺伝子が効果的に働いているというのです。運動は身体にストレスを与えますが、それが長寿遺伝子によるサバイバル回路を始動させ、細胞の防御機能を目覚めさせます。
本書の真ん中あたりには「山中伸弥が突き止めた老化のリセット・スイッチ」という項目があります。ノーベル賞を受賞した有名なiPS細胞の研究が、移植用の臓器を人口的に培養する道を開いたと話題になりましたが、著者は別の面で注目しています。
それは、この研究が生物の老化をリセットできるというものです。このメカニズムを応用して、老化にともなう目の病気が注射で治せる日が目前に迫っているそうです。
まもなく私たちは指輪状のバイオ・センサーを常に装着して、腕時計型のコンピューターであらゆる角度からの健康チェックができるようになると著者は言います。何を食べるべきか、何を食べてはいけないか、これからどの程度の運動をするべきかが指示され、それによって老化にブレーキがかけられるというのです。
そして第3部では、老化を克服した人類の未来が描かれます。著者の予測では健康寿命は33年延び、110歳を越えて元気な人が当たり前になるそうです。そのような未来がどんな世界か、予想しながら読んでみてもおもしろいでしょう。