生物学は生き物を研究対象とする学問ですが、見方を変えれば「死」を研究している学問でもあります。一般の人にとって「死」は忌むべきもの、恐怖の対象であって、いつかは死ななければならないと頭でわかってはいても、その日がくるのをできるだけ先に延ばしたい、できれば永久に来ないようにしたいと思うのが人情です。
本書は生物学者である著者が、生物学の視点から「そもそもなぜ生き物は死ぬのか」を解説したものです。さまざまな生物にとっての死を比較し、テロメアなど最新の知見を盛り込みながら、アンチエイジングについても考察します。さらには死とは無縁のAIとの付き合い方にも触れていきます。
本書の冒頭で、著者は「天文学者になればよかった」と述懐し、宇宙の誕生から地球上での生命の誕生までをかいつまんで解説します。地球に生命が誕生した最も重要な理由は、太陽からの距離がちょうどよく、有機物が凍りも燃えもしない温度環境であったからです。ちなみに、地球の隣の金星は480℃と熱すぎ、火星は-45℃と寒すぎます。
原始の地球は溶岩や硫酸ガスなどが噴き出し、強い放射線や紫外線などが宇宙から降り注ぐ、過酷な環境でした。しかしそれは多様な有機物を生成、蓄積するには好都合で、タンパク質の原料となるアミノ酸や核酸の元となる糖や塩基が作られました。
しかし有機物の材料がどんなにたくさん集まっても、そこから生命の誕生までには乗り越えなければならない障害がたくさんあります。その最初の障害は、どのようにして自己複製の仕組みを作るかです。これができなければ、生命は子孫を残すことができません。
その障害を乗り越えるために自然界が作り出したのは、RNA(リボ核酸)というDNAによく似た構造の物質でした。リン酸と糖、塩基という3種類の分子がつながって、ひも状の構造を形成したものです。使われる4種類の塩基の配列によって無限に近いバリエーションの配列を作り出すことができ、それぞれの性質から型と鋳物のように対になる鎖を合成することが可能です。これにより、自己複製の仕組みができました。
その次の障害は、どのようにしてRNAが進化を遂げるかです。偶然の産物でできたRNAだけだと、環境の変化に対応した、生命力の強いものが生まれません。そこに登場したのが「正のスパイラル」で、より増えやすい配列や構造を持つRNAが材料を独占し、他を駆逐していく流れが生まれました。
このとき、負けたRNAは勝ったRNAの材料にされます。反応性に富み、壊れやすいRNAは、分解されては新しいRNAの材料として作り変えられるリサイクルの流れの中にあるわけです。このことが「死」に大きな関係をもっていると著者はいいます。いわば本書における「伏線」です。
いくらRNAがたくさんできても、それだけではまだ「生命」ではありません。たとえばおなじみのコロナウイルスはRNAとそれを包む構造を持っていますが、生物ではありません。自分自身でタンパク質を合成することができないため、宿主がないと繁殖することが不可能だからです。単独で存在ができ、それ自身で増えることができることが、生物の条件になります。
やがて、原始の地球でRNAとタンパク質がくっついたり離れたりしているうちに、有機物の袋に入って効率良く自己複製するようになりました。それが細胞の原型で、やがてその袋はアミノ酸をつなぎ合わせてタンパク質を作る能力を獲得しました。それが現在、地球上のすべての生物が持っている「リボソーム」という装置です。
こうして細胞ができ、RNAはより効率の良いDNAに置き換えられて生命は進化してきました。ただし、その進化の過程は奇跡的な確率であるといわれています。よく例に出されるのが「25メートルプールに腕時計の部品をバラバラにして沈め、その水をかき混ぜているうちに腕時計が完成して動き出すのに等しい」というものです。
ここまでが第1章の内容です。それではここで本書の目次を紹介しておきましょう。章タイトルだけでなく、小見出しも掲載しておきます。さらっと眺めるだけで、全体の概要が頭に入ると思います。
はじめに
第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか
天文学者になればよかった
「この世の始まり」を見る方法
生き物の「タネ」の誕生
自己を複製し変革する細長い分子
そして「正のスパイラル」が奇跡を呼んだ
無生物と生物の間には……
早く生き物になりたい!
生物の必須アイテム、リボソーム
生物の誕生は地球限定イベントか?
宇宙人はいない!?
「奇跡の星」の歩き方
地球の美しさのひみつ
第2章 そもそも生物はなぜ絶滅するのか
「変化と選択」
DNAとRNA、似たもの同士が存在する理由
メジャーチェンジからマイナーチェンジの時代へ
最後のメジャーチェンジその1──真核細胞の出現
最後のメジャーチェンジその2──多細胞生物の出現
「独占」から「共存」へ、そして「量」から「質」へ
現在の地球は、過去最大の大量絶滅時代
そもそも多様性はなぜ重要か
大量絶滅の後に起こること
絶滅による新たなステージの幕開け
ヒトのご先祖は果物好きなネズミ?
絶滅によって支えられているもの
第3章 そもそも生物はどのように死ぬのか
食べられて死ぬという死に方
食べられないように進化した生き物
寿命という死に方はない
大成功した原核生物の生存戦略
老化しない、細菌的死に方
単細胞真核生物的死に方
昆虫は、もっとも進化した生き物?
生殖で死ぬ、昆虫的死に方
大きさで寿命が決まる、ネズミ的死に方
超長寿、ハダカデバネズミ的死に方
大型の動物の死に方
食べられないことが生きること、食べることが生きること
第4章 そもそもヒトはどのように死ぬのか
2500年前まではヒトの寿命は15歳だった
ヒトの最大寿命は115歳!?
ヒトは老化して病気で死ぬ
日本人の死因
進化のカギとなる「良い加減の不正確性」
老化はいつ起こるのか?
細胞が老化すると体も老化する
老化細胞は“毒”をばらまく
細胞は約50回分裂すると死ぬ
DNA複製の2つの弱点
テロメアが細胞の老化スイッチをオンにする
テロメアと個体の老化は関係ない?
なぜ細胞老化が必要か
がん化のリスクを避ける2つの機能
幹細胞も老化する
老化が速く進行する病と原因遺伝子
早期老化の原因は「DNAの傷」
進化によって獲得された老化
第5章 そもそも生物はなぜ死ぬのか
死はヒトだけの感覚
多様性のために死ぬということ
多様性を生み出す「性」という仕組み
細菌が持つ多様性の仕組み
子供のほうが親より「優秀」である理由
多様性の実現に重要なコミュニティによる教育
コミュニティが作る個性
長生き願望は利己的なのか?
アンチエイジング研究とはなんぞや
寿命に関わる遺伝子
少なめの食事は健康にいい?
リボソームRNA遺伝子の安定性のメカニズム
もっとも不安定な遺伝子が寿命を決める?
寿命を延ばす薬の開発
炎症を抑え、老化を抑制する方法
他の生物に学んで模倣する技術
ハダカデバネズミが長寿のワケ
ヒトはハダカデバネズミになれるか?
死は生命の連続性を支える原動力
ヒトの未来
AIの出現で人類の進化の方向が変わる!?
死なないAIとヒトはどのように付き合えばいいのか
ヒトが人であり続けるために
おわりに
第2章では、「進化」という言葉の裏に隠された「絶滅」に焦点を当てます。地球に誕生した生命は、多様な生き物が常に新しいものと入れ替わる「ターンオーバー」の状態にあります。それが「進化」です。進化が生き物の繁栄を支えていますが、その背景には入れ替わり絶滅していく生物がいるということです。
地球生命の歴史を眺めてみると、過去に5回の大量絶滅の時代がありました。最初は約4億4400万年前のオルドビス紀で、海中の有毒金属の増加により約85%の生物種が絶滅したといわれています。次が約3億7400万年前のデボン紀で、大規模火山噴火により約80%の生物が絶滅しました。
次が約2億5100万年前のペルム紀で、海岸線の後退や火山活動などにより、生物種の約95%が絶滅したといわれています。次いで約1億9960万年前の三畳紀には大規模火山噴火で生物種の約75%が、約6650万年前の白亜紀には隕石の衝突で恐竜などを含む約70%の生物種が絶滅しています。
ちなみに、現在はそれら過去5回をしのぐペースで生物種が激減しています。原因は、人間による自然破壊です。地球上の約800万種の動植物のうち、少なくとも100万種が今後数十年以内に絶滅の危機にあるといわれています。
白亜紀の大絶滅の後に登場して繁殖したのが哺乳動物です。樹上生活をするネズミの仲間から霊長類が現れ、人類へと進化していきました。つまり、絶滅による進化が新しい生き物を作ったということです。
第3章では、生物の「死に方」を考えます。まず生物の死を病気や事故などアクシデントによる死と、寿命によるものの2つに分けます。アクシデントによる死の中で多く見られるのは、特に小さな生物に多い「食べられることによる死」です。そのために、食べられにくくする工夫や、大量の子どもを残す仕組みなどが生まれました。
一方の「寿命による死」ですが、これは科学的に定義されたものではありません。あくまでも老化の最終的な結果として死んだものを「寿命」と呼んでいるにすぎません。また、生物の中にはプラナリアやベニクラゲのように生き続けたり若返ったりするものもあります。そして細菌には寿命による死はありません。
ところが原生生物の一種であるゾウリムシは、約600回分裂すると老化で死んでしまいます。人類の食生活に大きな関係を持っている菌類の酵母は、単性生殖で約20回分裂すると死んでしまいます。しかし有性生殖を行うと寿命がリセットされて若返ります。
地球上の生物種の半数は昆虫です。昆虫は生物の系統樹の頂点にあり、最も進化した生物とみることもできます。昆虫は変態によって姿を変えますが、それは生き延びるための工夫の結果です。そして多くの昆虫は、成虫になって生殖を終えると、バタバタと死んでいきます。
ネズミの寿命はほぼ体の大きさに比例し、ハツカネズミは2~3年、ハリネズミは10年、ビーバーは20年生きるといわれます。ただし例外があり、アフリカの地中に住むハダカデバネズミは体長10センチとハツカネズミなみの大きさですが、寿命はネズミの中では最長の30年です。
ハダカデバネズミが長寿なのは、地中で暮らすという天敵の少ない生き方をしているほか、低酸素で生きられる特性、32℃程度という低体温、少食などが影響しているといわれます。省エネ体質は活性酸素の産生も少ないため、老化が促進されにくいと考えられています。
そしてもうひとつ長寿の原因とみられているのは、ハダカデバネズミがミツバチやアリのような「真社会性」をとっていることです。ハダカデバネズミは通常100匹くらいの集団で生活しますが、その中で子供を産むのは1匹の女王ネズミだけです。他のネズミは仕事の役割を分担して効率的に暮らしています。
第4章ではヒトの死に方をみていきます。ヒトがどのように死ぬのか、その変遷とメカニズムが語られます。
そもそも、日本の2500年前(旧石器時代から縄文時代)の平均寿命は、13~15歳だったと考えられています。サルよりも短い寿命です。狩猟での事故や病気、栄養不良による乳幼児の死亡などがあったためです。
弥生時代に入って稲作が始まると、生活集団が大きくなり村社会が生まれました。乳幼児の死亡率が少し改善されて、平均寿命は20歳くらいになったと推定されています。
その後、日本人の平均寿命は平安時代に31歳、鎌倉時代には政治の不安定化から20歳台、室町時代には16歳となりました。江戸時代には平和な世の中のおかげで38歳まで延びています。
明治、大正時代は43歳、戦争中は31歳、戦後の2019年には女性87.45歳、男性81.41歳を記録しています。ここ100年で寿命が2倍になったことになります。それでもヒトの寿命は115歳くらいが限界だろうといわれ、115歳を超えた日本人はこれまでに11名しかなく、全世界でも50名に達していません。
現在のヒトの死に方は、老化の過程で死ぬパターンです。がんなどの病気で死ぬのはアクシデントではなく、免疫細胞の老化による免疫力の低下や、組織細胞の機能不全が原因だからです。
その老化がなぜ起きるかというと、幹細胞の老化からです。ヒトの体細胞は約50回細胞分裂をすると死にますが、その場合、幹細胞が失った細胞を供給して補完します。この幹細胞が老化すると、新しい細胞の供給が悪くなり、ケガが治りにくくなったり、感染症にかかりやすくなったりします。
また老人は老化した細胞の除去が起こりにくく、残留してサイトカインという物質を撒き散らします。これが臓器の機能を低下させ、動脈硬化やがんの原因となります。
第5章では、生物はなぜ死ぬのかという本書のタイトルについて考察します。生き物が死ななければならない状況には、おもに2つの理由があります。ひとつは食糧や生活空間の不足です。もうひとつは多様性のためです。多種多様な生物の試作品を作り、古いものは死んで新しいものに場所を譲ります。
そのために、生物には子供を残したら親はさっさと死ぬようなプログラムがほどこされています。ただし、ヒトの子供は産まれてから大人になるまで時間がかかるため、親はサケやカマキリのようにすぐに死ぬわけではありません。
死を恐れる生物はヒトだけですが、それはヒトには感情があるからです。そのために古くから不老不死、今でいうアンチエイジングの研究がなされてきました。最近では老化の生理現象を解明して、その作用を抑制する抗老化薬の開発が進められています。
そのひとつが、糖尿病の薬として古くから使われてきたメトホルミンです。現在、アンチエイジング薬としての安全性と効果が調べられているところです。
もうひとつ、臓器移植後の拒絶反応を軽減させるために使われるラパマイシンという薬も注目されていますが、免疫抑制効果があるため、健康なヒトには副作用があるといわれています。
また、薬ではありませんがハダカデパネズミの生態を真似ることで長寿を獲得しようという研究もあります。子育てと働き方をハダカデパネズミに学び、社会全体の効率を上げることで寿命を延ばすという考え方です。
本書には、ここで紹介しきれなかったさまざまな論考がまとめられています。また、ひと目で理解しやすい図版もたくさん載っています。「生きるってなんだろう」という哲学的な疑問を感じたとき、理系的なアプローチで考えるヒントを与えてくれる1冊です。