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未来は予測するものではなく創造するものである
考える自由を取り戻すための〈SF思考〉

樋口恭介・著 筑摩書房・刊

1,980円(税込) 1,760円 (Kindle版)

本書にどのような内容が書かれているかは、タイトルと同じ題がついた長い「まえがき」を読むと理解できますが、ざっと眺めるために小見出しを並べてみましょう。
・SF作家という仕事、ITコンサルタントという仕事
・未来を実装するための試行モデル作成
・人間の思いつきこそが、かつては「未来」と呼ばれていた
・馬車の発想から逃れられないうちは自動車を発明することはできない
・過去をなかったことにはできないが、未来を変えることはできる
・未来を「予測」することは原理的にできない
・「本当のイノベーション」が失われつつある
・「科学的管理」というイデオロギー
・文明発展とともに人類は機械のように画一化した
・意味や価値のわからない「仕事」を再生産し続ける「制約事項」
・未来は恐れを知らぬ「楽観主義」によって創造される
・「考える自由」を取り戻すために

本書の立ち位置は、著者がまえがきの2行目で書いています。
「本書は、SFをビジネスに応用した、SF思考とSFプロトタイピングについての解説書であり、SF思考やSFプロトタイピングという比較的新しい概念に関する定義やその成立経緯、社会的な意義や実践方法、事例のサンプルなどを紹介し解説しています」

サブタイトルにも入っている「SF思考」という言葉ですが、これはパート1で詳しく解説されます。著者は本書でいうところの「SF」を、よくいわれる「サイエンス・フィクション」や「サイエンス・ファンタジー」ではなく、「スペキュレイティブ・フィクション」として定義しています。

スペキュレイティブ・フィクションは日本語訳すると「思弁小説」となりますが、かえって意味がわかりにくいかもしれません。本書に掲載されたSF評論家のジュディス・メリルの言葉を孫引きすることにしましょう。

「宇宙、人間、“現実”に関するなにものかを、客体化、外挿、類推、仮説とその紙上実験、などの手段によって、探求し、発見し、まなびとることを目的とするストーリー」というのがメリルの定義です。

ここには科学技術や未来の舞台などは必ずしも必須ではありません。ただし仮説と実験、観察という科学の方法が重要であり、その方法で作中世界の宇宙、人間、現実を探索するのがSFだということです。

著者はそれをやさしい言葉で言いかえています。「ここではないどこかの、このわたしではないわたしを科学の方法の思想によって描いたもの」がSFだとしています。

ここで大事なのが「ここではないどこか」への想像力で、それを使ってつねに「オルタナティブ」を思考する/志向する考え方が「SF思考」だということです。

次に「SFプロトタイピング」という言葉が出てきます。著者は「SFを用いてプロトタイピングを行うこと」と、あっさり説明していますが、その前に「プロトタイピング」を解説する必要があるでしょう。

プロトタイピングとは、もともとデザインの世界で使われていた言葉です。新しいものを目に見える形にして検討するために、手近にある紙やダンボールなどの素材を使って完成形をシミュレートすることを指しています。

要件定義や基礎からの設計を行ってから実装していく手法に比べると、スピーディーで簡単にやり直しが利くため、アジャイル開発などとともに近年注目されている開発手法です。

「SFプロトタイピング」は、プロトタイピングをSF思考のほうに寄せたものです。手法よりも目的や考え方に焦点が当てられていて、複数の未来の中から「ありうる未来」を幻視するために使われます。それにより、「あなたが本当に望む未来」を描くことができると著者は言います。

著者は1989年岐阜県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、外資系コンサルティングファームに勤務し、現在は愛知県在住です。テクノロジー部門のマネージャーとしてDX戦略を中心とする案件を手掛けるほか、スタートアップ企業Anon Inc.で多くのSFプロトタイピング案件を手掛け、日本国内におけるSFプロトタイピングの普及と発展を推進している存在です。

その一方で2017年に『構造素子』(早川書房)で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し、SF作家としてもデビューしており、昼はITコンサルタント、夜はSF作家という二足のわらじを履いています。

著者の周囲の人たちはSFとコンサルティングの両立に違和感を持つようですが、著者はきわめて自然なことだと言っています。というのは、著者にとってコンサルティングとはSF的であるべきものだからです。そのあたりが、本書の成立理由です。

著者は「未来には、人間の思いつきによって切り拓かれる余地がある」と言います。未来は待っていれば自動的に変化して訪れるようなものではなく、人間が何かを創り、環境に働きかけることによって立ち現れてくるものだからです。

新しいテクノロジーは、しばしば特定の人間の特定の思考――ひらめきと呼ばれる突然のビジョン――によって、論理的には説明のつかない仕方で生まれ出てくることがあります。それはしばしば「イノベーション」と呼ばれます。

かつて私たちはそうしたイノベーションこそが「未来」であると思っていました。そして、そうしたイノベーションは「自己中心的な楽観主義」から生まれてきました。しかし現代はそうした気風が失われていると著者は言います。

特に日本では、自分の欲望を忘れ、遊び心をなくし、反対を恐れない攻めの事業をやめ、前例踏襲を前提とする改良志向に舵を切り、縮小再生産を繰り返し、未来を見るのではなく、かつてあった栄光のノスタルジーに浸ることをよしとする雰囲気が日本企業からイノベーションを奪ったというのです。

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いまでは「イノベーション」という言葉がさかんに言われるようになって久しいですが、イノベーション=技術進化は、あらゆるものごとを抜本的に変革してしまう、「本当にイノベーティブなイノベーション」と、既に存在するものごとの枠組みの中で、ものごとを効率化したり、速くしたりするといった「プロセスのイノベーション」に分けられます。言うまでもなく、求められるべきイノベーションは、前者のイノベーション──世界のすべてを抜本的に変革してしまうような、「本当のイノベーション」のほうです。しかしながら、前者のイノベーションは、いまではもうほとんど起きていないのではないか、というのがわたしの理解です。
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著者は「未来は予測するものではない」と主張しています。受動的に予測し、そのビジョンに恐れおののくのではなく、「たとえ部分的にせよ未来を人口的に創ってしまうことで、現在を書き換えていく」ことが、SF思考の基本だといいます。

そこには「費用対効果」とか「マネタイズ」とか、社風だとか組織の体制はまったく考慮されません。必要なのは「未来は変えられる」という信念と「自分たちが未来を変えるのだ」という意志だけです。

著者は読者に次のように語りかけます。
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あなたがこれまで当たり前だと思ってきた「制約事項」がなかったとしたらどうでしょう。
「制約事項」を取っ払って、本当になんでもありの世界から、何かを考えてみる、そういう場所があるとしたらどうでしょう。
「制約事項」などという「言い訳」の通用しない、ただ純粋に、「本当にほしい未来」だけを考えるための場所があったとしたらどうでしょう。
誰もが当たり前に宇宙に行けるとか、どこでもドアを開発するとか、平行世界に行けるとか、タイムトラベルができるとか、そういう類のイノベーションを、もう一度、わたしたちの思考のうちに取り戻すこと。
イノベーションへのアプローチを変え、未来へのアプローチを変え、そして、わたしたちの手の中に、「わたしたちの未来」を取り戻すこと。
純粋に、自分が「本当にほしいと思える未来」を思い描く自由を取り戻すこと。
そう。本書は、わたしが、あなたが、わたしたちが、「本当にほしい未来」に向かって、考える自由を取り戻すための本なのです。
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じつはSF小説をイノベーションの材料にする取り組みは、以前から行われていたそうです。たとえば2018年4月に総務省がサイトで発表した「新時代家族~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~」という作品は、2030年ごろから2040年ごろの未来世界の家族のつながりや仕事の在り方が描かれていました。

作者はプロの作家ではなく、総務省の若手職員26名で構成された「未来デザインチーム」です。作品の背景にあるのは総務省の情報通信政策ビジョン「未来をつかむTECH戦略」です。

登場するのは仮想的に自由に遠隔地に行くことのできるVRウェアや100歳でも登山できる補助外部骨格など、2030年代までに日本社会が実現をめざす技術です。小説の中では各家庭に人型ロボットが導入されていて、家庭に届けられる電力は人工衛星からの無線送電です。

出勤や登校はVR技術を用いたバーチャル出勤・登校で、定年退職後に大学に通う人や、80歳を超えて現役として働く社員など、少子高齢社会のユートピアが描かれています。

なぜ小説という手法を発表手段に選んだかについて、総務省は「政策文書のようなものではなく、小説のほうが若手の思いがダイレクトに伝わるとの思いから今回チャレンジしてみた」としています。SF思考によるSFプロトタイピングの典型例です。

SFの始祖のひとりといわれるジュール・ヴェルヌは「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」と言っています。想像可能なものは創造可能なのです。想像とは、いまだ顕在化していない「起きうること」を現実のうちに表出させる営みです。そしてひとたび想像されたものを見てしまえば、もう知らなかったころに戻ることはできません。

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日本のSFで言えば、『ドラえもん』や『機動戦士ガンダム』は当然ながらフィクションであり、既定路線の現実をなぞっていくだけでは絶対に存在しえないものですが、それらは現実から遊離することでフィクションとして存在することが可能なのであり、フィクションだからこそ、多くの人に影響を与え、現実に影響を与えることが可能となっています。それらの作品に触れた子どもたちが、大人になって研究者やエンジニアになり、そしていまでは彼らのような研究者やエンジニアたちの手を介して、フィクションだったはずの『ドラえもん』や『ガンダム』が、現実そのものを、実装レベルで変えつつあるのです。
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著者は「人はロジカルに考えることがとても苦手な生き物である」と言います。数字を自然言語のように扱える人はほとんどおらず、マンガを読むようにグラフを読み解くことのできる人も少数派です。ほとんどの人は論理的に考えることができず、直感と感情によって意志決定を行っています。

ということは、ロジックよりもストーリー、データよりも感動を伝えることが有効になります。フレームワークやデータだけではこぼれ落ちてしまうものが、躍動感のあるストーリーで伝えることが可能なのです。

ここで著者は、優れたストーリーの条件を列挙しています。
・条件1 新規性:語られている内容に新しさ、意外性はあるか
・条件2 共感性:語りのうちに、感情的な表現や、リアリティがあるか
・条件3 構築性:すべての要素が有機的に連動し、一つの世界観を生んでいるか
・条件4 論理性:展開は適切か。また、展開にムリ・ムラ・ムダはないか

ストーリーを、デザイナーは「共感」の道具として使い、SF作家は「思弁」として使い、コンサルタントは「競争戦略」として使うそうです。そこで重要なのが上に上げた4つの条件です。

著者は「ビジネスは科学ではない」と断言しています。「ビジネスはアート=人間の表現であり、人間自体が科学で代替不可能な存在である限り、人間の表現であるビジネスもまた、科学では代替不可能なのです」ということです。

ビジネスは科学でないため、法則もありません。しかしそこには論理の流れは存在するので、法則ではなくストーリーが必要になります。

ここまでが本書のおおよそ三分の一で、ここから先はより具体的にSFやSF思考、SFプロトタイピングが語られていきます。著名なSF作家の名前や作品名も続々登場します。SF好きな人にとっては、わくわくする内容になるでしょう。

そしてアメリカの大企業におけるSFプロトタイピングの導入例や、中国が国を挙げてSFを活用しようとしている事例なども語られます。実際にSFプロトタイピングを導入する場合の注意点も指摘してあります。

ブレイクスルーのヒントを得るための有効な1冊です。


 

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