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禍いの科学

ポール・A・オフィット・著 関谷冬華・訳 大沢基保・日本語版監修 日経ナショナルジオグラフィック社・刊

1,980円(キンドル版・税込)/2,200円(紙版・税込)

「良いことをしているつもりだったのに、禍を招いてしまった」ということは、ある程度人生を歩んできた人なら、誰しも経験したことがあると思います。しかし、それが科学による変革となると、「うっかりミス」の範囲で収まらない可能性があります。

本書はそんな科学史上の「ワースト7」を集め、くわしく解説した科学ドキュメンタリーです。原題は「PANDORA'S LAB SEVEN STORIES OF SCIENCE GONE WRONG」。あの「パンドラの箱」にちなんだ題名がつけられています。

発行元の日経ナショナルジオグラフィック社は日経BPグループの出版社で、1888年創刊の月刊誌「ナショナルジオグラフィック」の日本語版を発行しているところです。

「ナショナルジオグラフィック」は世界中で36カ国語で発行され、180カ国に850万人の読者がいる巨大雑誌です。ちなみに日本語版は、英語以外で最初に発行されました。

著者のポール・A・オフィットは、1951年アメリカ生まれの小児科医です。感染症、ワクチン、免疫学、ウイルス学を専門とする人で、ロタウイルスワクチンの共同発明者としても知られています。

なぜお医者さんである著者がこの本を書いたのか。「はじめに」にはそのヒントがあります。
・著者の息子がサイエンスライターであること
・著者が「世界を変えた101の発明」という展覧会を見たこと
・それに触発されて「世界最悪の101の発明リスト」を作ろうと思い立ったこと
・各界の人たちにリスト作りに協力してもらったこと
・最終的に自分で7つの最終候補を選んだこと

その7つの候補とは、次のようなものでした。
・6000年前のシュメール人が発見した喜びをもたらす植物
・1901年にドイツの科学者が発見した食品産業の革命
・1909年にドイツの科学者がノーベル賞を獲得した化学反応
・1916年にアメリカ連邦議会で可決された移民法
・1935年にポルトガルの神経科医が考案した精神病の治療法
・1962年に禁止された殺虫剤
・1966年に2つのノーベル賞を受賞した米国の化学者

わざと具体的なことをぼかしていますが、これは著者が「はじめに」に書いたままを引用しています。固有名詞は目次を見れば明らかになります。

原題である「パンドラの箱」は、紀元前700年の神話に描かれたものです。ギリシャ神話の神であるプロメテウスは天界から火を盗んで人間たちに与えますが、それを怒った最高神ゼウスは、宝石で飾られた素晴らしい箱をパンドラという人間の女性に渡します。

「決して箱を開けてはいけない」と言われていたパンドラですが、好奇心には勝てず、箱の蓋を開けてしまいます。すると中から病、貧しさ、不幸、悲しみ、死などの禍が霊に姿を変えて逃げ出してしまいました。あわててパンドラは箱の蓋を閉じますが、元には戻りません。そして箱の底には、希望だけが残っていたというお話です。

著者は、人類にとっての科学が、このパンドラの箱になり得ると言っています。科学の力でどんなことができるのかを模索する人間たちの好奇心が、時として多くの苦しみと死をもたらす悪霊を解き放ってしまうのだというのです。そして人類はその教訓に学ぶことなく、パンドラの物語は有史以来現在まで連綿と続いています。

ここで著者は自分のことを語り始めます。
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35年間にわたってワクチン研究を続けてきた化学者として、私は科学が万能の力を発揮する喜びと、予期せぬ結果を生む悲しみの両方を目にしてきた。(中略)1998年から1999年にかけての10ヵ月間、米国の乳幼児に投与されていたロタウイルスワクチンは、まれに腸重積を起こすことがあり、一人の子供が死亡したことによって中止された。
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先に著者がロタウイルスワクチンの共同発明者であることを紹介したことを思い起こしてください。

それでは、本書の目次を紹介しましょう。
・はじめに
・第1章 神の薬アヘン
・第2章 マーガリンの大誤算
・第3章 化学肥料から始まった悲劇
・第4章 人権を蹂躙した優生学
・第5章 心を壊すロボトミー手術
・第6章 『沈黙の春』の功罪
・第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
・第8章 過去に学ぶ教訓
・エピローグ

第1章の扉には次の文章が掲載されています。
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6000年前のシュメール人が発見したフル・ギル――喜びをもたらす植物――と呼ばれた植物は、ある薬物を誕生させ、現在は年間2万人の米国人がその薬物で命を落としている。若い成人に限れば、交通事故よりもドラッグによる死者数の方が多い。
***

シュメール人は旧約聖書に登場するアブラハムの時代に、ペルシア(現在のイラン)からチグリス川とユーフラテス川の間に移り住んできました。彼らはくさび形文字を発明し、農業を発明しましたが、その過程である植物を発見しました。

彼らが「フル・ギル(喜びをもたらす植物)」と呼んだのは、ケシの一種のアヘンケシでした。この植物からとれるアヘンは非常に効力が強く、シュメール人は「太陽神ラーの頭痛を癒やすために女神イシスが与えた贈りもの」だと信じていました。

17世紀イギリスの医師であるトーマス・シデナムは、「全能の神が苦しみを和らげるために人間に与えた治療薬のなかでも、アヘンほど万能で効き目のあるものはない」と言っています。アヘンが神からの贈りものであるという考え方は、なんと20世紀まで続いたそうです。

アヘンケシはさまざまな土地に適応し、よく育ちました。虫や菌類に対する生来の抵抗性があるため、資源に恵まれない土地でも育てることができました。そのため、アフガニスタンのような土地でも栽培され、現在でも主要な商品作物になっているほどです。

アヘンケシのさやの部分に含まれる乳状の液体を乾燥させると、黒いゴム状の物質「アヘン」が得られます。アヘンには5種類の有効成分があり、それぞれモルヒネ(鎮痛薬・ヘロインの原料)、コデイン(咳止め)、αナルコチンとパパベリン(ともに筋弛緩薬)、テバイン(オキシコンチンの原料)として知られています。

アヘンはギリシャ時代には薬として使われましたが、しだいにその中毒性が知られていきます。ローマ時代には毒物としても使われるようになり、ハンニバルはアヘンで自殺しました。ネロの母親は彼を皇帝にするために継子をアヘンで毒殺しています。

聖書には十字架にかけられたイエスに人々がアヘンを飲ませようとする記述があります(マタイによる福音書27章34節)。はっきりとアヘンとは書かれていませんが「(痛みを和らげるため)にがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとした」という記述があり、聖書学者たちはその「にがみ」はアヘンであったと考えているようです。

7世紀に中国に入っていたアヘンは、ポルトガル人が持ち込んだ喫煙パイプの普及とともに大流行しました。たちまち300万人の中国人が中毒になり、2度のアヘン戦争に敗北した中国は、香港をイギリスに渡すこととなりました。

一方、ヨーロッパではアヘンをブランデーに混ぜた「アヘンチンキ」が女性を中心に大流行します。万能薬として普及したアヘンチンキは、子供や乳児にも使用されました。

アヘンの中毒性をなくし、鎮静効果だけを残す方法として開発されたのがモルヒネです。ドイツの若き薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーが開発し、スコットランドの医師アレクサンダー・ウッドが注射薬として改良したモルヒネは、アメリカでたちまち30万人の中毒患者を生み出します。

そのモルヒネを安全な薬品に変えようとして作られたのがヘロインです。モルヒネをアセチル化することで作られたこの薬物は、モルヒネの5倍の効果があり、習慣性は一切ないとしてバイエル社から新薬として売り出されました。

ヘロインはアメリカとイギリスで標準的な治療薬として売られ、処方箋の必要がない薬品として薬局で販売されました。安全に服用できると宣伝されたため、乳幼児や妊娠中の女性にも使われました。

それから25年ほどが経過するうちに、ヘロインの中毒性が明らかになりましたが、すでにニューヨーク市だけでも20万人以上がヘロイン中毒になっていました。そのためアメリカ政府はヘロインを禁止し、地下組織で売られるヘロインの撲滅に力を注ぎました。

次に登場したのが、やはりアヘンから生まれたオキシコンチンです。関節炎の第一選択薬として販売されたオキシコンチンは処方箋の乱発や偽造を招き、たちまち全米に広がりました。

2010年にはアメリカで処方鎮痛薬を誤用・悪用した人の数が2200万人にのぼり、ヘロインとコカインを合わせた数よりも多くの人が命を落としました。過剰摂取による死者は19分に1人の割合になり、現代医学が犯した最大の過ちの一つとなりました。

第2章は「マーガリン」にまつわる話です。

米国人の最大の死因は心臓病ですが、その原因は心臓の筋肉に血液を送る冠状動脈がコレステロールによって詰まることにありました。1950年代には、脂肪とコレステロールの少ない食事が心臓を守ると考えられました。

マーガリンはナポレオン3世が兵隊に安価な栄養食品を食べさせたいと考えた結果生まれましたが、「バターは心臓に悪く、マーガリンは心臓に良い」というテレビコマーシャルに乗って、消費量を爆発的に増やしました。

しかしそれから数十年後、そのキャンペーンがまったく反対であったことが判明します。マーガリンのようなトランス脂肪酸こそが心臓病を引き起こす元凶であったことが研究の結果としてわかったからです。そして、バターのような飽和脂肪酸や植物油・魚油のような不飽和脂肪酸が心臓病と無関係であることが判明したのでした。

トランス脂肪酸は、自然界に存在しない、工業的に作られた脂肪です。安価な加工食品の材料として重宝されましたが、トランス脂肪酸を禁止したデンマークで心臓病患者が劇的に減ったことが決定的な証拠になりました。

2005年、ハーバード大学医学部教授であるウォルター・ウィレットは、「ニューヨーク・タイムズ」紙に次のように述べました。
「多くの人々が専門家の立場からバターの代わりにマーガリンを食べるように勧めてきたし、1980年代に内科医だった私も人々にそうするように告げていた。不幸にも早すぎる死に彼らを追いやってしまったことも少なからずあったはずだ」

マーガリンを巡る騒動は、過去の愚かな笑い話ではありません。今もこれからも起こり得る事例のひとつとして受け止めるべきです。まともな根拠のないキャッチフレーズや雰囲気、印象に引きずられて、事実に反する行動に人々が駆り立てられることは、これからも何度も起こるでしょう。

以下、5つの興味深い事例が続きますが、それは本書を手に取ってのお楽しみに取っておきましょう。わかりやすく書かれた、科学ノンフィクションとして、あるいは人間の愚かさに対する警鐘の書として、ぜひお読みいただきたい本です。


 

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