電子書籍版のほうが紙版より少し安い本が多い中で、本書は価格がまったく一緒です。調べてみましたが、ポプラ社の本でも、ポプラ新書でも電子書籍のほうが安くなっている場合が多く、本書は特殊なケースのようです。もしかすると、これは紙の本をこよなく愛する著者の意向なのかもしれません。
さて、「一万円選書」という独自のサービスによって大ブレイクしたいわた書店の話はご存じでしょうか。北海道の砂川市という、札幌から1時間ほどの場所にある、典型的な「町の本屋さん」が、繰り返しニュースなどで報道されて全国的に有名になったというものです。
「一万円選書」というのは、いわた書店の店主が申込者のプロフィールを書いた「カルテ」をもとに、「この人はどんな本をおもしろがって読んでくれるだろうか」を考え、予算1万円の範囲内で本を選んで送ってくれるというものです。
本というものは、普通は読み手が選んで買うものです。たまにプレゼントされたりして読むケースもありますが、それはごく例外的なはずです。いわた書店の「一万円選書」は、その常識をひっくり返し、たちまち話題になりました。
現在、「一万円選書」の募集は年に7日間しかやっていません。それでも3700件もの応募があり、店主はそこから100名を抽選で選んでは、「カルテ」を送付しています。そして「カルテ」が返送されてきたものから順に、その人にふさわしい本を選び、リストと請求書を送ります。その中に既に読んだ本や持っている本があれば教えてもらい、差し替えます。
請求書に記載された本代と送料が振り込まれると、本を発送します。こうして100名分が終わると、次の100名を抽選します。現在は3000名が、いわた書店からの連絡を待っている状態であるといいます。つまり、バックオーダーが3000万円分ずつ、常にあるということです。
本書は、そんな「一万円選書」の誕生から現在までと、いわた書店の歴史、著者である店主の岩田徹氏の生い立ちなどが記されたものです。とても読みやすいので、すぐに読了することができると思いますが、その中には書店業、小売業を超えた、すべてのビジネスに通用する金言が詰まっています。
本書の構成は、次のようになっています。目次を紹介します。
・はじめに
・第1章 いわた書店の店主になるまで
炭鉱の町に生まれて
いわた書店のはじまり
函館ラ・サール高校で
高校卒業後、そして佐藤泰志のこと
本屋を継ぐつもりはなかったけれど
北国の小さな本屋が生きる道を探して
・第2章 「一万円選書」の極意
「一万円選書」はこうして始まった
たったひとりのために、本を選ぶ
ニューヨークの本屋を巡って
ブレイク前夜。人生のどん底
晴れた霧、この花園を見るために
「選書カルテ」が果たす役割
あなたが求めている本を見つける手がかりに
「答え」はその人の中にしかない
履歴書じゃわからないこと
・第3章 僕はこうやって本を選ぶ――いわた書店の珠玉のブックリスト
あなたの運命の1冊の見つけ方
NeedsではなくWantsを見つける
初心者から玄人までおすすめできるテッパンの4冊
詩集や海外文学で読書の幅を広げる
「歴史」が描かれた名作から学ぶ
あなたに読んでもらいたい本
忙しい毎日、たまにはゆっくりしたいあなたへ
〈40代・男性・大手メーカー勤務の方への選書〉
遠く離れた家族を想うあなたへ
〈30代・女性・契約社員の方への選書〉
このままでいいのか、人生の岐路・進路に悩むあなたへ
家族関係に悩むあなたへ
人と人の距離感について考えるあなたへ
心が疲れる環境にいるあなたへ
ビジネスパーソンにこそ絵本を。孤独や焦りを抱えているあなたへ
SNSや職場、学校で……人と比べて嘆くあなたへ
だから本の世界はおもしろい
本で他者の考えや思いに触れることができる
オシム監督の生き方から欧州の歴史を知ることができる
落語、美術から未来予測まで。「役に立つ」だけじゃない
あなたの居場所になってくれる
僕は、本をどう読むか
読者との書簡
・第4章 北海道砂川だからできる「やりたかった本屋」
北国の小さな本屋の仕事術
目の前にいる相手に集中する
気に入った本だけをすすめる本屋
新刊より既刊を。絶版本も蘇らせる
損益分岐点を低くした黒字経営
きちんと休んで家族と過ごす
「お金にかえられない仕事」が価値を生む
一万円選書を始めた、本屋の仲間
本と読者をつなぐプラットフォームに
やがて来る春のために
・おわりに
・ブックリスト
著者である岩田徹は1952年、北海道美唄市に生まれました。1990年から家業のいわた書店を継いで店主として働きます。2007年に始めた「一万円選書」は、当初は月に1、2人のお客さんしかいませんでしたが、2014年に深夜番組で取り上げられたことからネットで大ブレイク。店頭売上よりも「一万円選書」の売上のほうが上回るようになり、今では常に「3000人待ち」という状態に嬉しい悲鳴を上げています。
インターネットの普及とともに「中抜き」という言葉がよく聞かれるようになりました。流通の合理化によって、中間的な存在である「問屋」や「卸」が省かれ、極端な場合にはメーカーから消費者にダイレクトに物品が販売されるようになりました。
出版の世界でもその流れは明らかで、たとえばアマゾンは日本でこそ取次店を介した取引をしていますが、「キンドル・ダイレクトパブリッシング」などのサービスでは、書き手と読者をじかに繋いでいます。そもそもアマゾンの祖業である紙の本を売るサービスは、「翌日に届く」「プライム会員は送料不要」というメリットで、街の書店を駆逐しつつあります。
ともすれば「中抜き」は世の中の進歩の過程として避けて通れないもの、しかたがないことと捉えられていますが、抜かれるほうの立場にとっては、たまったものではありません。
いわた書店の「一万円選書」は、いろいろなことを教えてくれます。最も考えさせられるのは、「流通の中間にいる存在が、自分の立場でできることを惜しみなく努力しているか」ということでしょう。
流通の各段階には、それぞれに経済学でいう「非対称性」が存在します。その非対称性からくる専門知識を、自分たちのお客様にどう伝え、どのように売上向上に役立てるか。それを怠った者が、技術の進歩でふるい落とされていくのだということです。
本書の「おわりに」で著者はこう書いています。
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ここで経験したことは、仕入れた本がほとんどすべて売れていくという経営上のメリットだけではありません。選書カルテを介在した本屋と読者の「おもしろい本の教えっこ」とでも言うようなコミュニケーションが、日々何かの物語を紡ぎだしているのです。こんな本はどうだろう? と、恐る恐る提示した本が「感謝」されるのです。この本は、その過程をなるべく詳しく振り返ってみたものです。
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本が大好きで、いい本を世に送り出すことを使命と考えている熱心な書店員は、図書館の司書と同じくらい、本のことをよく知っています。行きつけの書店にそういう店員がいると、次に読むべき本のアドバイスが得られたりするものです。
しかし、現在はそういう書店員が少なくなりつつあります。書店そのものが潰れていくからです。または経営合理化のために本のことをよく知らない、ただ作業だけができる店員が増えていることもあります。
「一万円選書」が投げかけてくるのは、「中抜きされるあなたたちは、本気で生き残りを賭けた努力をしているのか?」という言葉です。「せっかく自分たちの得意なことがあるのに、それをお客様に届ける方策を考えていないのではないか?」という衝撃が、本書のページをめくるごとに伝わってきます。
それと同時に、いかにいわた書店がラッキーであったかも痛感します。もしも深夜番組に取り上げられなければ、そのまま閉店に至っていたかもしれないのですから。
しかし逆に言えば、「一万円選書」をコツコツ7年間続けていたから、チャンスの女神の前髪をつかむことができたわけです。無駄かもしれない、失敗するかもしれないという思いと戦いながら、いいことだと信じるものを続ける大切さがそこにあります。
この「一万円選書」のキモである「カルテ」は、本書に掲載されています。それは次のようなものです。
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・これまで読まれた本で印象に残っている20冊を教えてください
・これまでの人生で嬉しかったこと、苦しかったことは?
・何歳のときの自分が好きですか?
・上手に歳をとることができると思いますか? もしくは、10年後にどんな大人になっていると思いますか?
・これだけはしない、と決めていることはありますか?
・いちばんしたいことは何ですか? あなたにとって幸福とは何ですか?
・そのほか何でも結構ですので、あなたについて教えてください。ゆっくり考えて書いてみてください。
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「一万円選書」に応募してくる人の多くは、「本を読みたいけれど、何を読んだらいいのかわからない」という人たちです。その人たちにぴったりの本を選ぶためには、それぞれの人となりを知る必要があります。そのために著者が工夫を凝らして作ったのが、この質問内容です。それに対する答えが、1人ひとりの「カルテ」になります。
著者はその「カルテ」をもとに、自分自身がこれまでに読んだ本の中から、心に響いたもの、こういう人に読んでもらいたいとおすすめできるものを選んで送り出していきます。そのために、午後3時から5時まで店のシャッターを下ろして「一万円選書」に専念しています。店頭売上よりも「一万円選書」の売上のほうが大きいからこそ、できることです。
選ばれる本は、小説、エッセイ、詩集や歌集、学術書、絵本やマンガなど多岐に渡ります。著者はシャッターを下ろした店の中で、棚の前に立ってウンウンと唸りながら、ときには音楽をかけて踊りながら本を選ぶのだといいます。
いわた書店の「一万円選書」がユニークなのは、お客様から本代と送料しかもらわないことです。「選書」の料金をとらないサービスであることが、多くのファンを呼んでいるともいえます。
前述したように書店の小売マージンは定価の約2割ですから、「一万円選書」で著者が得られる粗利は2,000円ほどにしかなりません。月に100人こなして20万円です。それでもお店の維持費を工夫すれば、店頭売上と合わせてなんとかやっていけるというのが、地方の小さな書店のメリットでしょう。
この「一万円選書」は、さまざまな波及効果を生みました。ひとつは、いわた書店を介して著者や出版社と読者が直接結びつくきっかけとなったことです。
選書に当選した人がTwitterなどのSNSで本の感想をつぶやき、それを読んだ出版社の編集担当の人や営業担当の人が「ありがとうございます!」と反応するケースや、著者本人が反応するケースが増えているといいます。
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「一万円選書」を通して、いわた書店から読者へと本が届いていることを著者や出版社に伝えられるのは嬉しいことです。こうしていわた書店は、読者と本のつくり手をつなぐプラットフォームのような役目を果たすことができているのです。
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あるとき、いわた書店を訪ねてきた人が、友人の書いた本を見つけて棚の写真を撮影していきました。するとその後、その本の著者から手紙が届きました。それだけではなく、北海道旅行の途中で寄り道をして、いわた書店を訪ねてきてくれました。さらに、いわた書店の次男が働く鳥取市役所で声をかけてくれたということです。
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読者に本を届けていたら、こんなふうに著者ともつながることができた。ありがたいことに、本を通じて僕自身のご縁も広がっています。
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著者が始めた「一万円選書」を真似する書店も増えているそうです。でも著者はひと言も「真似された」とは言っていません。「本屋の仲間が始めてくれた」という感覚で捉えているからです。
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本屋の仕事は、読者におもしろい本をつなげることです。だから僕は、やりたい人は「一万円選書」を全国の書店さんでやってほしいと思っているんです。北海道の書店の会合なんかでも、「真似したかったら、真似して!」とよく言っています。「冷やし中華、始めました」って感じで、「うちでも『一万円選書』始めました」と、どんどん始めちゃってほしい。
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なぜ著者にそれが言えるかというと、『一万円選書』は誰がやっても同じサービスにはならないからです。もちろん機械化はできませんし、競合することもないでしょう。もしかすると、いろいろな書店に「一万円選書」を依頼して、その違いを楽しむお客様も出てくる可能性があります。
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僕が死ぬまでの一生をかけてもできる数には限りがあるし、選ぶ人によって得意分野も感性も違う。本屋には、児童書が得意な人もいれば、ミステリーが得意な人もいれば、コミックが得意な人もいますから。
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実際に「一万円選書」を始めた書店も本書には紹介されています。旭川にある「こども冨貴堂」は児童書が得意なので、児童書が苦手ないわた書店を補完する存在として、チラシを同封しているそうです。
また、帯広の「ザ・本屋さん」は「元祖一万円選書いわた書店公認」という看板を立てています。そのほか、大阪の「隆祥館書店」や東京の「伊野尾書店」も「一万円選書」を始めています。
「一万円選書」を始めた書店が異口同音に言うのは、「久しぶりに本屋をやっていておもしろいって感覚を思い出した」「本屋の楽しさが蘇ってきた」ということです。こうして北海道の小さな書店が始めた運動が、業界に広がっているのは喜ばしいことです。
さらに「一万円選書」は著者の娘さんに継承されています。お嬢さんが「いわたま選書」というコミックを中心としたライトなコミュニケーション選書を始めていて、そちらは「カルテ」を作らずにネット上のフォームでアポイントメントを取って15分くらい電話で話すことでお客様のプロフィールを得ているそうです。
世間話や好きなコミック、ゲームの話をすることで、おすすめする本を選んでいるとのことで、著者とはまったくバッティングしていないそうです。
こうして著者が始めたサービスは、地方の小売店が抱える問題を次々と払拭していきます。今では、地元商店街と組んだコラボ商品の展開も始めているそうです。
「オワコン」と簡単な言葉で片づける前に、できることがあるはずだという例を示してくれる、読めば勇気の出る本です。