まず本書に寄せられたビル・ゲイツの推薦の言葉を引用しましょう。
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20世紀後半、あるイノベーションが誕生し、全世界でビジネスのやり方を変えた。ソフトウェア産業の話ではない。それが起きたのは、海運業だ。おそらく大方の人があまり考えたことのないようなそのイノベーションは、あの輸送用のコンテナである。コンテナは、この夏私が読んだ最高におもしろい本『コンテナ物語』の主役を務めている。コンテナが世界を変えていく物語はじつに魅力的で、それだけでもこの本を読む十分な理由になる。そのうえこの本は、それと気づかないうちに、事業経営やイノベーションの役割についての固定観念に活を入れてくれるのである。
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本書の初版は2007年に刊行されましたが、それから10年以上の時を隔てて、コンテナ船が巨大化し、世界の港湾もそれに伴って巨大化、自動化が進んできました。また、初版が出た時には顕在化していなかった米中貿易戦争が深刻さを増したという背景もあります。本書はそのような状況を反映させた増補改訂版として、2019年に刊行されました。
著者のマルク・レビンソンはニューヨーク在住のエコノミストで、「The Economist」の金融・経済学担当編集者や「Newsweek」のライター、外交問題評議会のシニア・フェローなどを務めた人物です。著書に『例外時代』(みすず書房)などがあります。
価格で想像がつくように、本書はなかなかのボリュームです。そのため、最初に目次を紹介しておきます。
・まえがき
・改訂版への謝辞
・第一章 最初の航海
・第二章 埠頭
・第三章 トラック野郎
・第四章 システム
・第五章 ニューヨーク対ニュージャージー
・第六章 労働組合
・第七章 規格
・第八章 飛躍
・第九章 ベトナム
・第十章 港湾
・第十一章 浮沈
・第十二章 巨大化
・第十三章 荷主
・第十四章 ジャストインタイム
・第十五章 付加価値
・解説 激化するコンテナターミナルへの投資競争
・原注
・参考文献
まえがきで、著者は本書を書く作業がとても孤独だったと独白しています。なぜなら、「今、何の本を書いているのか」という質問に「コンテナの歴史だ」と答えると、相手から沈黙が返ってくるからです。
それほど、一般人にとって「コンテナ」とは無味乾燥で物語性のまったく感じられない物体だということです。著者も正直に「あの退屈な金属の箱」と表現しています。
にもかかわらず、本書の初版は大きな反響を呼びました。それは、コンテナを使った物流が輸送コストの大幅な低下を招き、世界経済の統合化をもたらしたということが、本書で初めて明らかにされたからです。
コンテナ物流はグローバル・サプライチェーンを大幅に再編し、物流における規制緩和を促進し、東アジアを組み込んだ世界貿易の活発化を進めました。その一方で、港湾労働者の仕事をなくし、コンテナ物流に抵抗した既存の物流は歴史から姿を消しました。
また、コンテナは違法な物資や不法移民の絶好の隠れ蓑になりました。そして、世界はテロリストがコンテナに爆薬や放射性物質を忍ばせるリスクを本気で警戒するようになりました。
それでは章を追って内容を見ていくことにしましょう。
第一章の冒頭は、「最初のコンテナ」の話から始まります。
1956年4月26日、アメリカニュージャージー州のニューアーク港で、クレーンが奇妙な荷物を老朽タンカーのアイデアルX号に積み込みました。その荷物とは、58個のアルミ製の箱でした。
その箱は、5日後にアイデアルX号がヒューストンに入港すると、待ち構えていた58台のトレーラトラックに積み込まれ、それぞれの目的地に向かいました。これが物流革命の始まりでした。
それから60年あまりの時間が経ち、コンテナは世界を変えました。1956年に中国はまだ世界の工場ではありませんでしたし、カンザス州のど真ん中でブラジル製の靴を買ったり、メキシコ製の掃除機を選んだりすることが可能になるとは、誰も考えていませんでした。
ワイオミングで育った牛を日本人がすき焼きにして食べたり、フランスのデザイナーがトルコやベトナムで服を縫製させることなども、誰も想像していませんでした。
そのような物流の革命を成し遂げた主役であるコンテナは、ロマンのかけらもない金属の箱です。アルミか鉄でできていて、木の床と2枚の大きな扉を持つだけの空っぽの箱。それ自身は空き缶と同じで、詳しく見ていくだけの価値もありません。重要なのは、その使われ方だからです。
コンテナがまず変えたのは、港の風景です。かつては見られた港湾労働者の群は、どこにも見かけられなくなりました。安い賃金で貨物の積み下ろしを劣悪な条件下で行っていた肉体労働者は、その居住区とともに忘れ去られてしまいました。
次に、港湾の序列が変わりました。かつては輸送コストが高かったので、工場も港湾も消費地に近いほうが有利でした。しかしコンテナ物流によって輸送コストが劇的に低下すると、工場は地方に移り、大型船が横付けできない港湾は廃れていきました。
今、活況を呈している港湾は、大型船が苦もなく接岸でき、高速クレーンが素早くコンテナを積み下ろしできるコンテナ埠頭です。そこではコンテナ船は数時間係留するだけで、コンテナの積み替えが終了すると、すぐに錨を上げます。
さらに、コンテナ物流は工場のあり方も変えました。かつて大都市郊外には大型工業団地が幅を利かせていましたが、今では一貫生産の工場ではなく、特定の工程、特定の製品に特化した小型工場が主流になっています。サプライチェーンが効率化されたからです。
この波は国境の意味を薄れさせています。国内の地方に運ぶのと変わらないコストで海外を相手にできるようになったからです。そのために、好むと好まざるとにかかわらず、あらゆる部門にグローバリゼーションが浸透しています。
かつては、船便による輸送コストの半分近くが港湾での荷役に費やされていました。それは海上の輸送コストの2倍におよんでいました。コンテナ物流は、そのコストをほとんどゼロに近づけたわけです。
今では、コンテナとコンピュータの組み合わせにより、グローバルな物流網においても、ジャストインタイム方式が可能になりました。そのおかげで、メーカーは在庫を大量に抱える必要がなくなり、大幅なコスト削減が可能になっています。
実際に、コンテナが世界的に普及してから10年後の1966年には、世界の工業製品貿易の伸びは、工業生産高の伸びの2倍におよんでいます。これはGDPでみた世界経済成長率の2.5倍です。これを見れば、経済成長以外の要因が貿易を加速したことが明らかです。
第二章は、かつての埠頭の姿が活写されるところから始まります。
埠頭には貨物上屋と呼ばれる倉庫があり、そこには雑多な荷物が積み上げられていました。段ボール箱や木箱、樽、スチール缶、重そうな袋、果物の入った籠、ワイヤーの束などを沖仲仕と呼ばれた肉体労働者が仕分けをし、運搬し、積み上げます。
それらの荷物は木製のパレットに積み上げられ、船上クレーンで船倉に下ろされます。船倉には別の沖仲仕が待ち構えていて、フックを外し、ウインチを次の仕事のために解放します。そしてパレットから荷物を下ろし、船内に積み込める場所を探して押し込みます。
その作業の一部には台車やフォークリフトが使われますが、大半は人力です。砂糖の100キロ袋、コーヒーの60キロ袋、バナナの房40キロを蒸し風呂のような船倉で運搬するのは過酷な労働でした。労災事故も多発していました。沖仲仕の怪我をする確率は、建設業の3倍、一般製造業の8倍という高率でした。
第三章では、どのようにしてコンテナ物流が誕生したかが細かく語られます。そこにはマルコム・マクリーンという天才的な運送王の存在がありました。20代前半にトラック野郎として活動を始めたマルコムは、やがて全米屈指の運送会社オーナーとなりました。そして次々と船会社を手に入れます。
最初、マルコムはトレーラートラックのトレーラー部のみを船に積み込むアイデアを思いつきました。目的地にはトラックのみを待たせておくという考えです。しかし、やがてもっと効率のいいことを発案します。トレーラーの車輪を外した「箱」だけを船に積むことです。これなら箱を重ねて積むことができます。
続いてマルコムは初の船上コンテナの仕様を定め、大量発注します。並行して中古の大型クレーンを購入し、ニューアーク港とヒューストン港に据え付けます。あわせてスプレッダーと呼ばれるリモートコントロールでコンテナの四隅を固定して吊り上げる装置も開発しました。
こうして1956年4月26日、大勢がランチを食べながら見守る中、7分間に1個のペースでアイデアルX号にコンテナが積み込まれ、すべての作業を8時間足らずで完了し、アイデアルX号はその日のうちに出港していきました。
アイデアルX号はヒューストンに入港しましたが、甲板に箱が並んだタンカーの姿は、港にいる人たち全員を驚かせました。しかし、最も驚くべきは、この時の輸送コストでした。当時の常識では、中型貨物船に一般貨物を積み込む場合のコストは、トン当たり5.83ドルでした。しかしアイデアルX号では、トン当たり15.8セントしかかかっていなかったのです。
第四章では、コンテナ物流のシステムが進化していく様子が描かれています。アイデアルX号の4倍ものコンテナが搭載できる貨物船が作られ、コンテナの固定方法にも新技術が採用されます。あわせてクレーンも高速荷役が可能なように改良されていきました。
一方、マルコムにライバルが現れます。西海岸に本拠を置くマトソン海運です。こちらはハワイ航路を持ち、コンテナの採用によって利益を上げようともくろんでいました。そして地球物理学者のフォスター・ウェルダンを研究部門の責任者として採用しました。フォスターは潜水艦発射ミサイルのポラリス開発に携わった第一級の技術者でした。
フォスターは綿密な計算に基づいてコンテナの寸法を定め、積み下ろしに使うクレーンも専用のものを新たに設計しました。行き当たりばったりのマルコムとは違い、実験を繰り返して最適解を求めていきました。1958年8月31日にマトソン海運はコンテナ輸送を開始し、ハワイ航路で莫大な利益を上げるようになります。
やがて時代は下り、1965年冬、アメリカ政府はベトナムへの緊急増派を開始しました。ベトナム戦争激化です。このとき兵站面で大活躍したのがコンテナでした。これにより、軍事用語であったロジスティックスは物流用語となり、コンテナ物流がシステムであることが広く知られるようになりました。
まだまだ本書のマニアックな内容は続きます。興味のある方はぜひ本書でお確かめください。