歴史を扱った一般書籍にとって、NHK大河ドラマがかぶると「大チャンス」となります。もちろん大河ドラマのテーマが決まってから急遽制作する本もありますが、既刊本は表紙カバーや帯を刷り直しての大増刷で書店店頭に平積みされることを狙います。
本書は2022年10月25日の発行ですから、2021年1月19日の「どうする家康」制作発表を受けてからの企画立案・原稿執筆と思われます。静岡大学名誉教授で家康に関する著書の多い本多隆成氏に白羽の矢を立てての編集制作なのでしょう。
一般的に「新書」で刊行することの利点は次のようなことです。
・初版発行部数が一般書籍に比べて多い
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平積みされる書店が多くなり、目に触れやすくなる
・書店でレーベルの占有棚が確保できる
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ロングセラーが狙える
・一般書より安価
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読者が購読しやすい
・レーベルの信用で売りやすい
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レーベル買いの読者が狙える
一方で、判型が小さく目立ちにくい、表紙カバーのデザインが統一されているので個性を出しにくいなどの欠点がありますが、それを補うために出版社は大きな帯をつけて目立たせる工夫をしています。本書も縦書きの目立つコピーを帯に配しています。
そんな本書ですが、アマゾンの書籍紹介にはこうあります。
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戦国乱世を勝ち抜き、天下を制した徳川家康。だが、その道のりは平坦ではなかった。今川・織田の両雄に挟まれた弱小勢力として出発し、とりわけ前半生の苦悩は色濃い。正妻と嫡男信康を喪い、重臣の離反も経験する。武田信玄、羽柴秀吉らと鎬を削り、手痛い誤りも犯したが、運も味方にして幾多の難局を切り抜けた。三方原の合戦、本能寺の変、関ヶ原の合戦、大坂の陣ほか、家康が迫られた10の選択を軸に波瀾の生涯を描く。
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それでは、さっそく目次を紹介していきましょう。
・はじめに
・第一章 桶狭間の合戦
・第二章 三河一向一揆
・第三章 三方原の合戦
・第四章 嫡男信康の処断
・第五章 本能寺の変
・第六章 小牧・長久手の合戦
・第七章 石川数正の出奔
・第八章 小田原攻めと関東転封
・第九章 関ヶ原の合戦
・第十章 大坂の陣
・終章 家康の人物像
・あとがき
・主要参考文献
・徳川家康略年譜
本書は徳川家康の10の決断が描かれたものですが、それがすべて章タイトルになっているため、まず自分の知らないところから読み進めることができます。かなりの歴史通でないかぎり、この10章のすべてをご存じの方は少ないでしょう。
著者は「はじめに」で本書の立ち位置を説明しています。
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徳川家康の生涯を振り返ってみると、当時としてはまれにみる数え年で七五歳(満では七三歳)という長寿を全うしており、しかも大坂の陣で豊臣氏を滅亡させ、後顧の憂いなく、結果的に二六〇年余りにわたって続くことになる幕藩体制の基礎をしっかりと築いたうえでの大往生であったから、さぞかし満足がいく生涯だったというようにみられるであろう。
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しかしながら、その生涯は決して平穏なものではなく、幾多の苦難や危機を乗り越えて、最終的に到達した天下人の座であった。変転極まりない戦国の世にあって、東に今川氏、西に緖田氏という大名勢力に挟まれて、弱小勢力であった家康が前途を切り拓いていくことは、並大抵のことではなかった。その時々で最良の選択をしたかにみえて、実際には判断を誤って危機に陥るようなことさえあった。
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筆者は家康については、すでに二〇一〇年に『定本 徳川家康』(吉川弘文館)を刊行している。その二番煎じは許されず、今回はどのような切り口でその生涯をたどるのかが問われることになった。そこで本書では、家康の「人生のターニングポイント」を取り上げ、あらためてその生涯をたどってみることにした。
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人には多かれ少なかれ、その生涯を左右した「人生のターニングポイント」がある。(中略)家康の場合はとりわけその前半生において、そのような危機に直面する場面が際立っている。後年の大御所といわれた姿からは想像もつかないほどの、まさに波瀾万丈の生涯であったといえよう。
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そして著者は、家康最大の危機を三方原の合戦としています。織田信長から援軍を得て武田信玄と対決したこの合戦で、家康は大敗を喫して浜松城に逃げ帰りました。もし武田信玄が織田信長との対決を急いでおらず、また信玄の体調が万全であったなら、そのまま浜松城は攻め落とされ、家康の生涯はそこで潰えていたでしょう。
第一章は有名な桶狭間の合戦です。弱小であった織田信長が大敵の今川義元を奇襲で討ち果たした闘いですが、このとき家康は今川義元の人質でした。松平竹千代と名乗っていた当時の家康の家は大名ではなく、三河国における弱小の国衆でした。今川家の傘下に入ってかろうじて家名を維持することができる状態でした。
桶狭間の敗戦で今川氏が衰退し、人質状態から脱すると、元康と名乗っていた家康は今川義元からもらった「元」の字を捨て、「家康」と改名します。そして今川との同盟から織田との同盟に切り替えました。これが家康最初の決断です。
それからまもなく、三河に一向一揆が勃発し、家康の家臣団が二分されてしまいました。これが第二章の内容です。家康は一向一揆の宗教的影響力を排除することに成功し、家臣団の整備も進めることができました。この時期に名字を松平から徳川に改めています。
第三章が著者のいう家康最大の危機であった三方原の合戦です。この時期は武田、上杉、織田、北条、足利将軍家などが同盟を結んだり破棄したりを繰り返す不安定な状況でした。南下してきた武田軍二万五千を徳川・織田連合軍一万余が迎え撃ちましたが、家康は多くの家臣を失って浜松城に逃げ帰ります。
絶体絶命の家康を救ったのは、信玄の重い病気でした。肺患とも胃ガンともいわれる病状の悪化により、信玄はそれ以上の行軍に耐えることができなくなり、甲府に引き上げる途中で病没しました。53歳でした。
この時の逸話で有名なのが、家康の「顰像(しかみぞう)」です。左手を頬にあて、顔をしかめた苦渋の表情の家康を描いたものですが、従来は生涯最大の大敗を喫した家康が自分を戒めるために描かせたものといわれてきました。しかし最近の研究では、この絵は三方原の合戦とは無関係ということが明らかになっています。
第四章は長篠合戦から始まります。信玄の後を継いだ勝頼が徳川・織田連合軍と戦った合戦で大敗し、名家武田家が衰亡の道をたどるわけですが、その間に家康の正妻と長男を失うという大事件が起きました。
詳細はよくわかりませんが、長男の正妻である信長の娘が、義母と夫の不行跡を手紙で訴えたのが発端のようです。従来の説では信長が二人を斬るように命じ、家康が仕方なく従ったといわれてきましたが、最近では粗暴な長男を家康がみずから処断したという説が有力になっています。
第五章は本能寺の変です。現在でも確固とした理由が不明な明智光秀の謀反により、本能寺の織田信長と妙覚寺にいた長男信忠を討ち果たしたという事件ですが、この時堺から枚方に向かっていた家康は、当初、知恩院での殉死を考えました。
しかし重臣たちの意見で思いとどまり、三河に戻って弔い合戦をすることを決意。伊賀越えの厳しいルートを越えて、四日市から海路で岡崎城に帰着することができました。
第六章は、秀吉との決戦となった小牧・長久手の合戦です。本能寺の変後に台頭してきた秀吉と、甲斐・信濃を手中にした家康の激突となりました。前半戦の長久手の戦いでは家康が圧勝しましたが、その後は一進一退の攻防が続き、織田家の後継者である織田信雄が秀吉に降伏したことから和睦となりました。
家康は秀吉に人質を差し出すこととなり、実質的には秀吉優位の和睦であったといわれています。
第七章は家臣・石川数正の出奔です。小牧・長久手の戦い後、秀吉は関白、太政大臣と官位を極め、天下人への道を疾走していきますが、一方の家康は上田で真田昌幸との戦いに大敗し、さらに重臣で岡崎城代であった石川数正が秀吉の元に出奔するという大事件が起きてしまいます。
その背景には、徳川家中における対秀吉融和派と強硬派の対立がありました。融和派の筆頭であった石川数正が家中の会議で孤立し、立場を失ったのが原因といわれています。
真田との戦いと石川数正の事件を受けて、秀吉は家康に対して本格的な武力攻勢を計画します。もしそれが実行されていたら、家康の未来はなかったでしょう。しかし畿内を中心とする天正大地震が起こり、秀吉の出陣は延期されました。
その後、家康は秀吉に臣従することを決意し、正妻として秀吉の妹を受け入れ、上洛して正式に秀吉の家臣となりました。
第八章は小田原攻めと関東転封です。最後まで抵抗した北条氏を大軍で滅ぼした秀吉は、家康に関東への国替えを命じます。この時、家康は北条氏の拠点であった小田原ではなく、湿地帯の多かった江戸を本拠にしますが、それは秀吉の命であったとされています。
やがて秀吉による朝鮮出兵、秀頼の誕生による関白秀次の切腹、家康を含む五大老・五奉行制の施行など、豊臣政権は大きく揺らいでいきます。
そして秀吉が死去すると、第九章の関ヶ原の合戦となります。前田利家が死去し、単独で家康に対抗できる大名がいなくなると、家康の画策が始まります。そして東軍と西軍が関ヶ原で対峙し、有名な小早川秀秋の裏切りがきっかけとなって東軍が勝利しました。
最後の第十章は大坂の陣です。関ヶ原で勝利した家康は豊臣家の家臣であるという立場は続けながら、天下の実権を握りました。そして征夷大将軍に任ぜられると、江戸に幕府を開きます。
その2年後、家康は将軍職を秀忠に譲り、もはや豊臣家に政権を渡すつもりがないことを内外に明らかにします。これに続いて大坂の陣が起こり、豊臣家は滅亡しました。
猛スピードで全10章をみてきましたが、興味があったらぜひ本書を熟読してください。