オススメ参考書~読んだら即実践してみよう!

比叡山大阿闍梨 心を掃除する

光永圓道著/小学館・刊

1,584円(キンドル版・税込)/1,760円(紙版・税込)

タイトルの一部にもなっている著者の位階「大阿闍梨(だいあじゃり)」ですが、読めた人はどのくらいいるでしょうか。

阿闍梨は僧侶の位のひとつで、梵語の「アーチャリー」を音写して漢字を当てたものです。意味としては「教授」「模範師」といったところです。

仏教における阿闍梨の意味は、弟子を教えられる僧侶というもので、階級でもあります。天台宗や真言宗などの密教では、あらかじめ決められた修行をして「伝法灌頂」という儀式を経て阿闍梨となります。

阿闍梨には教授阿闍梨、伝法阿闍梨、大阿闍梨、七高山阿闍梨、一身阿闍梨の5種類があります。それぞれ必要な知識や修行、取得する方法が異なり、僧侶としての階級も違います。

著者の肩書である比叡山大阿闍梨は、天台宗の大本山である比叡山延暦寺で定められている位階で、千日回峰行という超人的な荒行を終えた者だけが取得することができます。1571年以降の記録では、この修行を終えることができた僧侶はわずか51名だそうです。

千日回峰行は、地球1周分に相当する4万キロを7年かけて徒歩で巡礼し、9日間にわたって断食、断水、不眠、不臥で不動明王を念じなければなりません。

この荒行を経た著者は、「良く生きるための気づき」を体得することができました。それを読者に伝えるために、本書は「掃除」という誰にでもできる万人共通の生活行動を通して著者の考えを説いています。

なぜ年頭にこの本を選んだかというと、経営者や職場のリーダーという立場の人たちこそ、「心の掃除」が必要だからです。怒ってくれる人、身近で指導してくれる人が少ない立場にいればいるほど、つい心の中に「傲慢」が育ってしまいます。

わがままを通そうとする気持ちを自分自身で律することはなかなか簡単ではありません。それこそ著者のような荒行が必要になります。それを「掃除」という、すぐにできる活動に置き換え、やさしい言葉で教え諭してくれるのが本書というわけです。

では目次から見ていきましょう。
・はじめに
山を飛び歩く「峰の白鷺」
250を超える霊場を巡拝
「これまでの過去」に生かされている
悩みにはひとつとして同じものがない
掃除に始まり、掃除に終わる
掃除は気晴らし
完璧な人間、完璧なものなど存在しない

・第一章 生きることと、修行すること
「ここでなら生きられるかもしれない」
千日回峰行との出会い
苦労や困難は「チャンス」という師僧の教え
朝から晩まで掃除に明け暮れる小僧の生活
「一に掃除、二に看経、三に学問」
奇跡のような高校3年間
楽しい世間に戻ろうかと思ったことも
「人生のレールが見えてしまった」
僧侶として生きる決意
師僧との約束
誰かに頼まれてやるものではない
9日間、何も食べず飲まず眠らず横にならない「堂入り」
百日回峰行とは
「痛みは、自分の勝手な都合に過ぎない」
血まみれの足にガムテープを巻いて
失敗の原因の「正体」を見極める
不動明王に近づく
目に見えるもの、目に見えないもの

・第二章 心よりも、まずは形から身につけなさい
「やらなきゃいけない」焦る気持ち
まず教えられた「心がけ」
結果がすべて
最初の一歩は「心」ではなく「形」から
お経もまず「形」から
仏さまのハンドサイン
100円の大きな壺
立ち姿、座り姿。まずはそこから
千日回峰行中の大怪我
「中断」は死を意味する
形の美しさは「手段」ではなく「結果」

・第三章 ものは「ふさわしい場所」に置かれれば、それだけで美しい
なぜ仏壇はいつも美しいのか
人の成長とともに増える秘密
若者部屋に悩む親
床だけ掃除
ゴミ箱の「ふさわしい場所」は3カ所だけ
床にものがあってはいけない
生きることは「汚すこと」である
人間とは、どのような存在か
仏教の教えに「持ち物を減らすべき」という考え方はない
収納すべき場所があるかどうか

・第四章 なぜ掃除をするのか。明確な目的を持ちなさい
自分のため、他者のため
目標は「日々を幸せに暮らすこと」
平常心是道
毎日必ず使う「トイレ、風呂、台所」
時間で区切る
「きれい」を決めるのはあなた自身

・第五章 あなたはひとりではない
家族というもの
3つの責任
一緒にやる、お願いする
失敗を経験させる
いつもきちんと見ている
安心感が育む自主性
親心

・第六章 掃除を通して、自分と向き合う
ただひたむきにおこなう「禅」
見口意の三業を浄めること
京都大原の三千院
究極の次元の掃除
12年間、寺の結界から出ない浄土院の侍真
完璧は求めない

・第七章 続けるためには喜びを
週に一度、月に一度の掃除
「リカバーする日」を準備する
日常の言葉を整える
草鞋と時間
道具と効率化
新しい技術や文明を受け入れる
新しい道具は躊躇なく

・第八章 自分のため、を超えて
一隅を照らす
完璧に「正しいこと」はない
米作り
「当たり前」の凄み
季節の移ろいを感じる
引き継がれるもの
自分ひとりでは生きられない
あなたの後の、すべての「どなたか」のために

・おわりに
増える荷物
捨てられない悩み
「光永」という姓
挑戦の気風
潔く「わからん」
いつ死んでも後悔のないよう
「苦行」の先に

・著者プロフィール

「はじめに」から読み始めると、最初の数行で千日回峰行の厳しさに触れることができます。こんな感じです。
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私たち千日回峰行者は、何百年も前から峰の白鷺と呼ばれて参りました。白い浄衣に身を包み、夜中から明け方にかけて、お山(比叡山)を飛ぶように歩いて回るからです。
一般的に、山登りのスピードは時速1.5km前後だそうです。私は雨の日でも、雪の日でも、時速6kmほどでお山を歩きます。草鞋を履き、頭には蓮の葉を丸めた形の蓮華笠をいただいています。
はるか平安時代から、天台宗が連綿と伝えてきた千日回峰行では、挫折や中断は許されていません。怪我であれ、病気であれ、行を続けられなくなったときには、自分で命を絶つ決まりです。そのため、蓮華笠の中には三途の川の渡し賃である六文銭が入っており、死出紐と呼ばれる首吊り用の紐と、死者の顔にかける手巾も携えています。
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著者は織田信長の延暦寺焼き討ち(元亀2年/1571年)以降の約450年で、ちょうど50人目の北嶺大行満大阿闍梨となりました。7年間で千日(975日)かけて、比叡山から京都市街まで歩き、250カ所以上の霊場を巡拝しました。

千日回峰行のすごさは、この修行が毎日の活動と並行して行われるところにあります。著者は僧侶としての1日の勤めを終えた後に回峰行を行い、朝8時にお寺に戻ると日中のお勤めを行っていました。

著者はこの修行によって、自分が生かされているということを実感しました。自分たちが生きられるのは周囲の環境があるからこそですが、それは自分の先祖や両親がいたから存在するわけです。それに気づくことが仏教の本質の一端であると著者は言います。

著者が住持する覚性律庵にはいろいろな人が悩みを持って現れます。それぞれの悩みにはひとつとして同じものはありませんが、著者がその人たちに語るのは、同じことです。

それは、難しい物事に立ち向かうとき、最初に手をつけるべきは「環境」を整えることだということです。人間は自分ひとりで生きているのではないのですから、決して「自分だけ」に目を向けてはいけないということです。

では整えるべき環境とは何か。それは人ではなく、自宅や仕事場といった「もの」です。それを整えるのが、本書のテーマである「掃除」であるわけです。

人間はただ生きているだけで世界を乱し、汚してしまう存在ですが、掃除を続けている限り、整えることを止めなければ、汚れきってしまうことはありません。

著者は千日回峰行の200日目に「このままでは続けられない」と思いました。それまでの修行で数え切れないほど足を痛め、いつもどこかが腫れ上がっていたからです。

そう思って体の総点検をしてみると、足を捻挫して痛めていたのは修行が原因ではないと気づきました。「捻挫をするような歩き方」をしていたからです。そこで著者が悟ったのは、「たいていの問題や失敗は、その原因の『正体』を見誤らなければ解決の道が見つかる」ということでした。

それに気づいてから足の外側に負担をかけてしまう歩き方を改め、意識して内股ぎみの運足を心がけるようにしました。すると、捻挫の回数が著しく減ったのです。

著者は「気持ちよりも形から入れ」と教えています。それがよくわかるたとえ話が添えられています。両手で抱えないと動かせない大きな壺があるとします。それが近所の市場で100円でたたき売られていた壺の場合と、人間国宝の焼いた美術品の壺の場合、あなたは同じ持ち方をするでしょうか。

持ち方が違うとすれば、それはそこに「気持ち」があるからです。気持ちの前に「形」が身についていれば、ただ安全に大きな壺を持つ姿勢で運ぶだけです。それが気持ちより形を優先させることの大事さです。

そして著者は掃除の第一歩として「もとに戻す」を挙げています。「きれいにすること」は簡単ではなく、それなりに技術や経験が必要ですが、「もとに戻すこと」は誰にでもすぐできます。履き物を下駄箱に戻す、散乱した道具をもとの場所に戻す。

著者は「仏教の教えに持ち物を減らすべきという考え方はない」と言います。必要最小限のものしか持たないミニマムライフは、仏教の考え方ではないというわけです。

では仏さまは何と教えているか。それは収納すべきところがあるものは持っていてよいという考え方です。「そのものにふさわしい置かれる場所があるかないか」によって、自分に適切なものの量が決まるというわけです。

そして著者は「掃除を目的にしてはならない」と言います。掃除の目標は、「日々を幸せに暮らすこと」であり、掃除はそのための手段でしかないからです。

ほんの一部しか紹介できませんでしたが、人生のバイブルになる一冊です。ぜひ愛読してください。


 

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