「日本語が乱れている」とは、いつの時代にも聞かれる言葉かもしれません。ある意味では「今の若者は自分たちの若いころに比べて覇気がない」という年配者の愚痴に似ていると思われます。
言葉はとても複雑な体系を持つため、時代とともに変化します。スラングや方言、専門用語、ジャーゴンなどが一般化することもあります。それを嘆くより、そういうものだと達観したほうがストレスが少ないでしょう。
最近の日本語で明らかにおかしいのは、あまり権威のないメディアに見られる書き言葉の「だそう。」です。伝聞の「だそうだ。」「だそうです。」をぶった切っておしゃれな書き方だと誤解した頭の悪いライターが使い始め、それをテレビのテロップがさかんに真似したために一気に増殖した表現ですが、これは(まだ)日本語ではありません。
そこまで明らかな文法違反でなくても気になるのが、「させていただく」の乱用です。なぜそれが起きるのか、今話題のChatGPTに説明させてみました。
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【Q】「させていただく」はなぜ乱用されるのか
【A】「させていただく」という言葉は、敬語の一種であり、相手に敬意を表すために使われます。一般的に、上司や年配者などの目上の人に対して自分の行動を説明する際に使用されることが多いです。
しかし、最近では、「させていただく」が乱用される傾向があります。これは、一部の人が自分が行うことを相手に認めてもらうために、「させていただく」という言葉を使っているためです。このような場合、相手に対する敬意や謙虚さが欠けており、ただ単に自分のやりたいことを相手に押し付けるだけの行為になってしまっています。
また、この言葉が乱用される背景には、日本語の敬語表現が複雑であることが挙げられます。多くの人が正確な敬語の使い方を知らず、敬語を使うことで自分自身を上品な人間だと思い込んでいる場合があります。
そのため、「させていただく」という言葉を正しく使い、相手に対する敬意を表し、自分自身の品位を高めるために、正しい敬語の使い方を学ぶことが重要です。
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ずばりと核心を突く解説ではないですが、何となくわかったような気にさせられます。いかにもChatGPTらしい説明です。
もう少ししっかりと「させていただく」の乱用について説明してほしいと思っていたら、本書が見つかりました。著者は法政大学文学部英文学科教授で、言語学、コミュニケーション論、文体論が専門の学者です。すでに『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)というヒット作があり、本書はこのテーマの2冊目です。
著者は「はじめに」で、現代日本で「させていただく」という表現が爆発的に氾濫しており、そのことについて肯定的な意見よりも否定的な意見のほうが多いと指摘しています。
そして「させていただく警察」なる言葉も登場します。乱用を咎める立場の人が正義をふりかざしているケースが増えてきたということです。
著者によれば「させていただく」は今から150年前から使われ始めた言葉だということですが、使用が増加したのは1990年代だそうです。そこから爆発的に使われるようになり、芸能人のコメントなどでは逆に使われない例がないくらいになりました。
「させていただく」の使用の増加について、著者はこんなふうに見ています。
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私が興味を持っているのは、多くの人が「正しい」と考えるかどうかではなく、人々が「普通の敬語では敬意が足りない気がする。さて、どうしよう?」とあえぎながら、これでもかこれでもかと「させていただく」を連発している敬語のインフレ現象です。私には、「させていただく」は、本来の敬語が負いきれない敬意を、「あげる」「もらう」を意味する動詞が代わりに負っているような状況で、由緒正しい敬語の枠外にある別のタイプの敬語のように思えるのです。
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そして著者は本書で、「させていただく」を詳細に分析するだけでなく、この表現が人々に使われるようになった背景にある要因も探っていきます。社会の変化、人々の意識や距離感の変化、日本語の敬語の変化などの流れが集まった結節点に、「させていただく」現象が立ち現れているというのが著者の考えです。
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この本では、まず「人々がなぜこの形を便利だと感じたのか?」を解き明かします。そして、「日本語の敬語の流れの中で、どのような流れがあったから、この形が好まれるようになったのか?」も明らかになります。
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それでは、本書の概略を見るために、目次を紹介しましょう。
・はじめに
SMAPとV6の解散劇/「させていただく」の謎/敬語のインフレ現象/この本を読むと何がわかるか
・第一章 新しい敬語表現――街中の言語学的観察
用例を採集する/「飲食は禁止させていただいております」/「終了させて頂きます」/「させていただく」は使わない/「脱帽及びノーネクタイにて乗務させて頂きます」/「ポイントを進呈させて頂きます」/「免除させていただきます」/「おかげさまで320年を迎えさせていただきました」/「受賞させていただきました」/本音が言えない大学生/愛されるタメ語キャラと毒舌キャラ/「マスクを寄付させていただきました」/「ハッキリ言わせていただきます!」/「実家に帰らせていただきます」/「警察へ通報させていただきました」/「警備員が入室させていただいております」/「パンは終了させていただきました」/「結婚させていただきます」/「しっかり整わせていただいた。最高!!」/サザエさんは「させていただい」てない
・第二章 ブームの到来――「させていただく」の勢力図
「させていただく」への不思議な反応/「語用論」のアプローチ/使う人・使わない人/新しい敬語のお仕事/敬語とタメ語の距離感操作/上下関係とは別タイプの敬語/授受動詞、補助動詞とは何か?/100年越しの「させていただく」/本動詞用法から補助動詞用法へ/「させていただく」の文法事項のまとめ/敬意漸減の法則/遅れてきた「させていただく」/第1ステージ(15世紀~17世紀初め)/第2ステージ(江戸時代)/第3ステージ(明治時代~現在)/敬意のインフレーションが起こる時/「させていただく」という問題系/三つの問い
・第三章 違和感の正体――700人の意識調査
言語学の様々なアプローチ/古典語から継承された用法/敬語の「乱れ」は変化の兆し/距離感と関係性のポライトネス理論/二つのフェイス/ポスト・モダンのポライトネス/三つの問いと調査方法/違和感を左右する三つの要素/実験参加者の属性/調査に使った「させていただく」文/最大の要因は「聞き手の存在」/「恩恵性」は関係なかった/ワンフレーズになった「させていただく」/世代差はあるが年齢順ではない/話し手が持つ違和感/意図通りに受け取られるとは限らない/「させていただく」の絶妙な距離感
付録 調査に使った例文と解説 レベル1 違和感1.94/レベル2 違和感2.19/レベル3 違和感2.52/レベル4 違和感3.90
・第四章 拡がる守備範囲――新旧コーパス比較調査
昔の言葉と比較する/『青空文庫』と『現代日本語書き言葉均衡コーパス』/使用頻度と前後を調べる/距離感が二極化している/「させていただく」は便利になってきている/使用頻度が減った動詞/「述べる」「話す」動詞が増えている/元首相の街頭演説「お訴えさせていただきます」/政治家は「させていただく」をよく使うのか/活用形と語尾のパターン/最も増えた「言い切り形」/「質問形」は減り「依頼形」へ/コミュニケーション場面で使われる/言い切り形「させていただきます」の定型化/関わるようで直接の関わりは避ける/二つの調査の一致/近接化と遠隔化の両立/合理化か貧困化か/敬意がすり減った「させてくださる」/インフレした敬意を距離感で調整/敬意漸減の兆し
・第五章 日本語コミュニケーションのゆくえ――自己愛的な敬語
「させていただく」は関西発祥なのか/「させていただく」の一人勝ち/相手にどう見られたいか/「表敬」から「品行」へ/本当に込められているのは敬意ではない/アクセルとブレーキの操作/問題系への答え/コミュニケーションの矛盾/「あなたとともにあるこの私」/させていただきます「ね」/敬意のインフレーション/敬語のナルシシズム/自己疎外に陥る私たち/不特定多数とのコミュニケーションの難しさ/そして他者はいらなくなった
・おわりに
第一章では、街中での「させていただく」の採集状況が淡々と述べられています。その中に、「させていただく」に腹を立てた人の描写があります。講演会で「受講票を拝見させていただきます」と言われた人が怒り出すのですが、そこに著者の次のような解説があります。
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まわりの人は唖然として彼の背中を見送っていました。その時の私は、なぜあそこまで腹が立つのか、とても不思議でした。でも、同様の体験をした今は、彼の腹立たしさがわかります。なんだか腹が立つのです。理屈ではなく、感情のところで反応しているのです。慇懃無礼というのは、気がついてしまうと、とても腹の立つものなのです。受付の人が「受講票を見せてください」と依頼形で言っていたら、彼もあそこまで腹を立てなかったかもしれません。「いただく」と言って相手と関わろうとせず、業務を遂行していくだけというニュアンスが不愉快だったのではないかと思います。
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また、「発売を終了させて頂きます。お並び頂きましても、ご購入頂けない場合がございますので、あらかじめご了承ください」というポスターに対しては、「とても丁寧だとは思いますが、買えなかったお客さんからクレームを言われないように、防衛手段として書いているのではないかと勘ぐってしまいました」という意見が述べられています。実際のところ、その通りなのでしょう。
「マスクを寄付させていただきました」の用例には、次のようなコメントがついています。
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そもそも人にものをあげることは、そのこと自体が与える側と受け取る側の間に上下関係を作る行為です。人の上に位置づけられるのは、覚悟がないと居心地の悪いものだし、もらう方も、勝手に下位に位置づけられるのはご免です。「寄付させていただいた」という言い方は、そのあたりを気遣った言い方です。寄付した人は、自分の上位性を相殺するために「させていただく」というへりくだりの言葉を使っているのだと思います。
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自分の誇らしい話ができない、人のものをあげることが言いづらい、私たちはどれだけ上下関係に敏感で上位に位置づけられるのが苦手なのでしょうか? じつは、まさにそこが「させていただく」が本領を発揮する場であり、使われる理由の一つなのです。話し手が上に立つ上下関係ができそうな気まずい場面で、うまく私たちを下に下ろして救出してくれるマジックワードかもしれません。
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第二章の冒頭では、「させていただく」が日本語の不備を補う役割を果たしているという意見が紹介されています。それによると、「帰る・使う・参加する・変更する」などの謙譲語が作れない言葉については、「させていただく」は特効薬なのだそうです。
ただし、その場合には三つの注意点があるということです。
(1)謙譲形のある動詞は、それを使うこと
(2)へりくだる必要のないところで使わないこと
(3)なるべく繰り返しを避けること
「させていただく」が不快な印象を与える原因には、このルールを逸脱していることがあるのかもしれません。
また、「させていただく」は使役の助動詞の「させる」と授受動詞「いただく」が連結の「て」で繋がったフレーズなので、もともとの意味が保持されていると考える人の中には、相手からの許可もありがたい気持ちもない現在の使い方に対して「間違っている」と違和感を覚える人もいるということです。
ところで、日本語の敬語体系が変わってきていることを知っている人はどのくらいいるでしょうか。敬語は以前は尊敬語、謙譲語、丁寧語の三分類でしたが、現在ではそれに丁重語、美化語が加わった五分類になっています。
丁重語は謙譲語から分かれたもので、例えば謙譲語の「伺う」と丁重語の「参る」を比べると、どちらも自分の行為をへりくだる点は同じですが、「伺う」が相手に向かう行為であるのに対して、「参る」は行為が相手に向かわないところが違います。
美化語は丁寧語から分かれたもので、丁重語と謙譲語の関係と同様に、丁寧語が相手に敬意が向かうのに対して、美化語は敬意が相手に直接向かいません。丁重語も美化語も、聞き手に敬意が向いているところが特徴です。
敬語が三分類から五分類に変わったことで、新たに間接的に聞き手に敬意が伝わるタイプの敬語である丁重語と美化語が加わりました。そのことにより、敬語の使用で上下関係だけでなく、親疎関係も示されるようになりました。
著者はそのことを「行為に直接関わる相手に敬意を示すタイプの敬語から、コミュニケーションの相手に自分の丁寧さを示すタイプの敬語へのシフトが行われた」と言っています。つまり、相手に敬意を向けて話をするよりも、自分の丁寧さを示しながら話をするようなコミュニケーションスタイルが好まれるようになってきたということです。
「させていただく」の使用増加は、そのことと深く関係しているというのが著者の主張です。
第三章では、人々が「させていただく」に違和感を持つ理由を探っています。そのために「させていただく」の用法に次の要素があるかどうかもチェックしました。
・使役性 許可をもらって行う行為か?
・恩恵性H その行為は聞き手にとって恩恵性があるか?
・恩恵性S その行為は話し手にとって恩恵性があるか?
・必須性 その行為の成立に聞き手の存在・関与は必須か?
著者が年齢・性別がバラバラの700人に対して行った調査では、次のことがわかりました。
・違和感に最も強い効果を及ぼすのは「必須性」
・2番目に強い効果を及ぼすのは「使役性」
・3番目に強い効果を及ぼすのは「年齢層」と「話し手/聞き手の違い」
・「恩恵性」は優位な効果を及ぼさない
・「性別」は優位な効果を及ぼさない
第四章では、新旧2種類の巨大文章データを分析して、「させていただく」が時代とともにどう変化してきたかを見ていきます。比較するデータはAが『青空文庫』(1852~1956年)、Bが『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(1976~2005年)です。
その結果、「させていただく」はBが多く、「させてくださる」はBが少なく、「させてくれる」はBが多く、「させてもらう」は両者の差がありませんでした。著者はその結果を次のように分析しています。
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この距離感を先ほどの頻度調査の結果と考え合わせると、補助動詞の使用は最も近接化効果のある「させてくれる」と最も遠隔化効果のある「させていただく」に二極化してきていることになります。相手との距離感が近い、または近接的な物言いがしたかったら「させてくれる」を使い、相手との距離感が遠い、または距離感を出したかったら「させていただく」を使うという二択になっているのです。
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最後の第五章はまとめの部分になりますが、ここではいろいろな角度から「させていただく」の正体があらわになります。たとえば著者はこんなふうに書いています。
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ただ、一文に何度も使われる最近の「させていただく」の多重使いの様子を見ていると、対人配慮に気を遣うあまり、敬語盛り盛りで距離感を出しすぎて、他者と繋がることを回避するコミュニケーションスタイルへと傾斜しているような気もします。
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他者と直接繋がると、他者を傷つけたり自分が傷ついたりします。そうしたことを回避するために直截的な表現を避けて間接的な表現を使ったり、過剰な敬語を使ったりしているのかもしれません。「させていただく」の爆発的な使用拡大は、そうした丁寧な自己演出、品性ある自己イメージの構築に一役かっています。ただ、懸念すべきこともあります。敬語は距離感を作り出すための道具ですから、使いすぎると自己も他者も遠くなりすぎて、繋がれなくなってしまうことです。
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最後に、著者のこんな言葉が気になりました。
「『させていただく』が多く使われているということは、他の人から見て、自分がコミュニケーションをしたいと思える『ちゃんとした人間』であることを表現したいと思うような社会、品性のあるちゃんとした人間である自分を常に示したいと思う社会になってきているということです。つまり、『させていただく』は『私ってちゃんと人と丁寧に話すことのできる人間でしょ』というポーズを示す自己愛的な敬語で、敬語のナルシシズム現象なのかもしれません」
日常的に当たり前に使っている言葉の背景に何があるのか、大いに考えさせてくれる一冊です。