『起業工学』という書名を「聞いたことがある」という方。あなたは、ものすごい記憶力の持ち主で、しかも当メルマガの大ファンに違いありません。ご愛読ありがとうございます。
本書は2012年に幻冬舎ルネッサンスから刊行された『起業工学 新規事業を生み出す経営力』の続編にあたるものです。この本は「オススメ参考書」でも2012年3月15日付のVol.149で取り上げています。
続編といっても、前回の本と本書では出版社が違うだけでなく、執筆者が大幅に入れ替わっています。共通するのは加納剛太、古池進、カルロス・アラウジョ、中村修二の4名だけで、逆に言えばこの4人が「起業工学」という耳慣れない言葉のもとに集まったコアメンバーといえます。
まずはその4人の紹介から始めましょう。監修者の加納剛太氏は元松下電子工業常務で高知工科大学名誉教授。前回の本と本書の仕掛け人で、そもそも「起業工学」という言葉と概念は、この人が作ったものです。高知工科大学の大学院で「起業家コース」を担当していたとき、名刺に印刷した「Entrepreneur Engineering」という言葉がシリコンバレーの重鎮たちに絶賛され、その日本語訳として「起業工学」と名付けたのが始まりです。
次に本書では最多の3つの章の著者として名を連ねている古池進氏。この人は元パナソニック株式会社の副社長で、電子部門のトップを務めていた人物です。巨大ものづくり産業を実際に率いた人でなければ語れない事実を、率直に歯に衣着せずに語ってくれています。第1章ではカルロス・アラウジョ氏と共著で「イノベーションの哲学」を、第5章では日本の産業が沈滞した原因は経営者にあるという視点で「経営のイノベーション」を論じ、第7章ではイノベーションの本質が日本古来の概念である「不易流行(ふえきりゅうこう)」にあると語っています。
3人目のカルロス・アラウジョ氏は、コロラド大学コロラドスプリングス校工学部教授で、シンメトリックス社の会長。前述の第1章のほかに第8章も担当しています。典型的なアメリカの「起業家教授」として、自分の置かれたポジションと社会的意義、これまでの研究開発の歩みなどを語っています。
4人目の中村修二氏については、もはや紹介の必要がないでしょう。ご存じ青色発光ダイオードで2014年にノーベル物理学賞を受賞し、今はカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授としてアメリカで研究開発にいそしんでいます。第4章の「日本の産業と社会の強みと弱み」を担当し、自身が巻き込まれた訴訟合戦の顛末やノーベル賞受賞を巡る不正確な報道など、長いものに巻かれがちな日本社会の暗部を鋭くえぐっています。また、アメリカならではの「起業家教授」という側面も持っていて、紫色発光ダイオードや高性能レーザー照明を産業化するベンチャービジネスを手がけています。
その他の筆者も錚錚(そうそう)たる顔ぶれです。第2章「日本の起業文化の原点を考える」を担当した西本清一氏は、京都大学名誉教授、独立地方行政法人京都市産業技術研究所理事長、公益財団法人京都高度技術研究所理事長を兼任する「京都の頭脳」の一人。日本史の中で長年中心的な役割を果たしてきた京都がものづくりの中心でもあったこと、革新的なアイデアを次々と生み出してきた場所であったことなどを論理的に解説しています。
第6章の「大学発起業が日本を救う」を担当した河田聡氏は、日本で一番成功した「起業家教授」の一人でしょう。大阪大学特別教授としての顔を持ちながら、一方ではナノメートルの世界を測定する顕微鏡メーカーの会長でもあります。経験者、成功者として、これからの日本は大学発起業にもっと力を入れるべきでありと語っています。
第3章は第2章を受けた「京都からのイノベーション」というタイトルですが、ここを担当したのは京都工芸繊維大学教授で、副学長の吉本昌広氏。明治維新で日本の首都の座を失った京都の産業人たちが、「このままでは奈良になる」の合言葉のもとで文字通り命を賭けてイノベーションに邁進した様子が生々しく描かれます。西陣織の老職人たちが海路フランスに渡り、短期間でジャカード織りを修得。技術を地元に持ち帰ってから精根尽き果たして亡くなる様子や、琵琶湖疎水と蹴上発電所という日本初の大規模施設を22歳の若者に任せたという大胆さなど、今の日本が失ってしまった勇気と情熱を再発見できる章です。
今の日本で「起業」というと、サービスやソフトウェアといった「お手軽」なものに偏りがちです。しかし、「楽して儲けよう」という姿勢では歴史に残る偉業を成し遂げることはできません。国も企業も勢いを持ち続けるためには絶え間ないイノベーションの連続が欠かせません。今の日本に一番欠けているのは、「イノベーションが失われている」という意識です。
これまで日本では、イノベーションのことを「技術革新」と訳してきました。それは近世までのイノベーションが新技術によることが多かったためです。しかし、数十年前から新技術によらないイノベーションが多発しています。ウォークマンもiPhoneも、革新的な技術を核として生まれた製品ではありません。新しい発想、思想のもとに、既存技術を組み合わせて生まれたものでしたが、空前の大ヒット商品となりました。
本書の著者たちも口を揃えて言います。「イノベーションは技術だけのことではない」と。そして「古いものを大事に磨きながら、大胆なアイデアを採用することが大事だ」と語ります。古いものや過去の成功体験にしがみつくだけでは、衰退は免れないということです。
それでは、目次を紹介します。
第1章「イノベーションの哲学」カルロス・アラウジョ、古池 進
イノベーションと哲学/イノベーションと歴史/日本の歴史とイノベーション/満たされることのないユートピア/日本にも「チャンスの文化」を/日本復活のためのイノベーション/「チャンスの文化」と実践/日本に求められる再活性化
第2章「日本の起業文化の原点を考える」西本清一
文化と文明――多様性が織りなすタペストリー/イノベーションとデザイン/国際都市長安を模範に生まれた京都/受容と成熟――繰り返す歴史のプロセス/イノベーションで日本を変革した日本人/町衆文化と学術・産業技術
第3章「京都からのイノベーション」吉本昌広
イノベーションに適した場所・京都/若い人を起用して琵琶湖疎水を開通/合言葉は「このままでは奈良になる」/校長先生が技法開発/「ベンチャーラボラトリー」で起業を促進/学生起業家をみんなで応援/アートの領域を持つ理系大学/今の日本に足りないのは持久力
第4章「日本の産業と社会の強みと弱み」中村修二
ノーベル賞受賞理由の歪曲/「天の声」がマスコミに指令を出した/「出る杭」を徹底的に叩く日本/アメリカの元気の素はベンチャービジネス/大学発ベンチャーの多さがアメリカの特徴/日本復活の鍵はベンチャーにある/赤字の大企業はどんどん潰すべき/ベンチャー投資を活性化させよ/ベンチャー経営者は潰れても儲かる/日本の起業家は失敗したら地獄/大企業と権力者に有利な日本の司法制度/アメリカの裁判は「正義」が基準/私の起業体験記/ベンチャーのお手本はアップルだ/もうひとつのビジネスはレーザー技術/日本の若者たちへのアドバイス/英会話がうまくなくても教授になれる
第5章「日本に必要なのは経営のイノベーションである」古池 進
はじめに/イノベーションに関する誤解/イノベーションを起こす構造/産業界を取り巻く三つの変化軸/世界の中心であり続けるためのアメリカの戦略/飽和した市場で儲けるのは不可能/デジタル時代の特徴とは/たった四年で価格が半減した薄型テレビ/デジタル時代の開発は体力勝負/日本人の研究者が足りない/日本の大学のレベルはどの程度か/今の日本はイノベーションにはほど遠い/未来を開く鍵は「おもてなし」/小岩井農場が私たちに教えてくれること
第6章「大学発起業が日本を救う」河田 聡
ガラパゴス国の崩壊/大学発ベンチャー、私の場合/ベンチャーではなく中小企業を目指した/BtoBではなくBtoCを選んだ/社員の大半が「博士」/PhDは「一人二役」/大手メーカーより高い給料/社長は外国人/ライバルのいない日本は天国/科学者とリスク感覚/教授は評論家ではいけない/縦割り社会とチャンス/大学発ベンチャーのメリット /起業家は異端を恐れるな
第7章「日本復活のキーワードは『不易流行』」古池 進
「諸行無常」を生き抜く力/「成長」か、「永続」か/「イノベーション経営」と「不易流行」/日本人のDNAに刻まれたイノベーション経営/イノベーション経営の担い手をどう確保するか/「日本的イノベーション」の実例/「琳派」という革新
第8章「アメリカの工科系大学教授と起業家精神」カルロス・アラウジョ
「起業家教授」という職業/「ブレーク・スルー」の重要性/「カイゼン」と「ワン・ゼン」/「カルチャー・テクノロジー」の進化/強誘電体不揮発性メモリー/FeRAMと起業工学/挑戦しない日本の大企業/究極の不揮発性メモリー「CeRAM」/「価値の創造」はどこにあるか
終章「~i&i~<Intelligence & Innovation>」加納剛太
その一「iPop」/その二「老舗の心意気」
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